読み物
天岩戸から伊勢へ — 天照大神奉斎の系譜
古事記の天岩戸の段と、日本書紀が伝える伊勢神宮内宮の起源を、ひとつながりの祭祀の物語として辿る。
天照大神は、古事記・日本書紀の双方で「高天原を統治する神」として語られる。日本神話の主軸に位置する太陽神であり、後の天皇家の祖神とも記されてきた。
その物語の中でも、天岩戸(あめのいわと)の段は、神話的事件としても、後世の祭礼形式の起源としても重要な節目となる。古事記 上巻によれば、天照大神 は弟神 須佐之男命 が高天原で繰り返した乱暴に心を痛め、自ら岩戸へ身を隠したという。
太陽が陰ることで、世界は闇に閉ざされる。困り果てた八百万の神々が天安河原に集まり、思金神(おもいかねのかみ)の発案のもと、岩戸の前で祭りを行った。その中心で舞ったのが 天宇受売命 であり、神々の歓声に誘われて天照大神が岩戸を開いた、と古事記は伝える。
この段は、ふたつの意味で日本の祭祀の起源を語ると読まれてきた。ひとつは「神を招くために舞と笑いを捧げる」という形式そのものの起源であり、もうひとつは「神は隠れ、現れる」という、神道祭礼の往復構造の起源である。
伊勢への奉斎
天照大神を恒常的に祀る場としての 伊勢神宮 内宮 の起源は、垂仁天皇の御世にまで遡るとされる。日本書紀 垂仁天皇 二十五年条によれば、皇女・倭姫命が天照大神の鎮まる地を求めて諸国を巡り、最後に五十鈴川の上流に至って「ここに鎮まりたい」との神託を得たとされる。
これが、現在の伊勢神宮 内宮(皇大神宮)の起源と伝えられる。倭姫命が辿った経路は、後に「元伊勢」と総称される諸社として各地に痕跡を残している。
この奉斎は、それまで宮中で祀られていた天照大神を、皇祖神として固有の社地に鎮める転換点でもあった。延喜式 神名帳に「大神宮」として記される伊勢神宮は、以後、二十年ごとの式年遷宮を重ねながら、千数百年にわたって祭祀を継承していくことになる。
物語と祭祀のあいだ
天岩戸の神話と伊勢の奉斎は、別々の段に語られている。だが両者は、「太陽神が一度隠れ、再びひらかれる」という共通の構造をもっている。
岩戸ごもりが、神が「個」として隠れ現れる物語であるのに対し、伊勢の奉斎は、神を「社」として留め、世代を超えて祀り続ける制度である。前者は神話の時間にあり、後者は歴史の時間にある。
この二つの時間が、神道祭礼のなかで結ばれている。式年遷宮の度に新たな社殿に神を遷すという所作は、神が「いま、ここに、新しく現れる」という岩戸開きの構造を、二十年に一度、人の手で繰り返しているとも読める。
天照大神の系譜を辿ろうとするなら、岩戸の段と、垂仁天皇朝の倭姫命の巡幸とを、別々の出来事としてではなく、ひとつながりの祭祀の起源として読むことができる。
出典
- [primary] 古事記 上巻(712 CE)天岩戸段 — 天照大神の岩戸ごもりと天宇受売命の舞
- [primary] 日本書紀 巻六(720 CE)垂仁天皇 二十五年条 — 倭姫命の巡幸と伊勢への鎮座
- [secondary] 延喜式 巻九 神名帳(927 CE) https://ja.wikipedia.org/wiki/延喜式神名帳 — 「大神宮」としての伊勢神宮の制度的位置
