
神別
平群氏は、大和を拠点とした神別の氏族。饒速日命の後裔とも伝わる大和の豪族で、飛鳥時代に平群臣樹が権勢を誇った氏族。
平群氏は、大和国平群郡(現奈良県生駒郡平群町周辺)を本拠とした古代豪族。武内宿禰の後裔と伝わり、5 世紀後半から 6 世紀前半にかけて大和朝廷の中枢で大臣として権勢を振るった。仁徳・履中朝に活躍した平群木菟(へぐりのつく)以降、複数代にわたって朝廷の最有力豪族の一角を占めた。
『古事記』孝元天皇段は、孝元天皇の孫 武内宿禰の子 平群都久宿禰(へぐりのつくのすくね)を平群臣の祖と記す。『新撰姓氏録』大和国神別の平群朝臣条もこれに従い、武内宿禰系の同祖系譜に位置づける。同祖の系譜には葛城氏・蘇我氏・巨勢氏・紀氏など、古代の大和を分担した有力豪族が連なり、武内宿禰系氏族群を成す。神格的祖神を持つというより、皇祖系の伝説的人物 武内宿禰を始祖伝承の中核とする点が特徴。
平群木菟は仁徳・履中朝の重臣として『日本書紀』に登場し、その孫の平群真鳥(へぐりのまとり、?–498 頃)は雄略朝末から仁賢朝にかけて大臣を務めた。武烈天皇即位前紀(『日本書紀』)は、真鳥が国政を専らにしたため大伴金村に攻められ、子の平群鮪(しび)とともに滅ぼされたと記す。本宗家滅亡後も傍流は奈良時代に平群朝臣として朝廷に仕え、『万葉集』には平群朝臣広成らの歌が収められる。
平群坐紀氏神社(へぐりにいますきうじじんじゃ、奈良県生駒郡平群町)は『延喜式神名帳』に記される式内大社で、平群氏ゆかりの古社。本拠の平群谷一帯には三里古墳・烏土塚古墳など平群氏の墳墓と推定される古墳群が分布し、考古学的にも氏族の勢威を裏付ける。武内宿禰系同祖の葛城氏・紀氏とは祭祀圏を共有し、大和西部の古代豪族圏を形成した。
新撰姓氏録(弘仁6年)— 神別・平群氏族条
一次文献藤原緒嗣 他(弘仁6年勅撰)
新撰姓氏録(弘仁6年)— 神別・平群氏族条に基づく平群氏の代表的な典拠整理。
https://dl.ndl.go.jp/pid/2543361Wikipedia「平群氏」
二次資料Wikipedia「平群氏」を参照した平群氏の系譜・地域的受容の補助確認。
https://ja.wikipedia.org/wiki/平群氏