
氏族
遠江国引佐郡井伊谷を本拠とした古族。江戸期には譜代筆頭の彦根藩主家として知られる。
井伊氏は遠江国引佐郡渭伊郷井伊谷を本貫とした武家氏族で、平安期から在地武士として遠江南部に勢力を持った。徳川家康に仕えた井伊直政以後は譜代大名筆頭の家格を保ち、近世を通じて彦根藩三十万石を国替えなく統治した。
出自として遠江国井伊谷を本拠とする古族とされる。氏神とされる渭伊神社は平安中期成立の『延喜式』神名帳に遠江国引佐郡の式内社「渭伊神社」として記録され、貞観八年(866 年)の『日本三代実録』にも蟾渭神への神位昇叙が記される。江戸幕府編纂の『寛政重脩諸家譜』にも井伊氏の家譜が収録されており、井伊氏は古代以来の渭伊郷土着の武家として伝えられてきた。氏神信仰と地名由来の双方を伝える氏族として位置づけられる。
井伊直政(1561-1602 年)は徳川四天王の一人として小牧・長久手・関ヶ原に従軍し、関ヶ原合戦後に佐和山十八万石を与えられた。慶長十四年(1609 年)に直継の代で彦根城へ移り、以後初代直政から最後の直憲まで十四代にわたり国替えなく彦根を統治した。幕末期の大老井伊直弼(1815-1860 年)は安政の大獄を主導し、安政七年(1860 年)桜田門外の変で襲撃を受けた。井伊家伝来の藩政文書約二万七千八百点は「彦根藩井伊家文書」として平成八年(1996 年)に重要文化財に指定されている。
遠江井伊谷には明治五年(1872 年)に明治天皇の思し召しで井伊谷宮が創建され、南北朝期の宗良親王を主祭神として井伊家ゆかりの神社と位置づけられた。本拠の彦根城内には彦根城博物館があり、井伊家伝来の甲冑・刀剣・能装束・国宝「彦根屛風」など九万一千点超を収蔵する。
延喜式 神名帳 遠江国引佐郡 渭伊神社条
一次文献藤原時平・忠平 撰
延喜式神名帳に「遠江国引佐郡 渭伊神社」が式内社として登録される
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%AD%E4%BC%8A%E7%A5%9E%E7%A4%BE遠江国風土記伝
一次文献内山真竜
遠江国十三郡の郷名・古跡・口碑伝説を記す。引佐郡条に井伊谷と渭伊神社の記載
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1876528寛政重脩諸家譜(井伊氏項)
一次文献堀田正敦 編
幕府編纂の武家系譜集。彦根藩主井伊家の系譜を収録する
https://dl.ndl.go.jp/pid/1082719寛政重修諸家譜 巻第七十六 井伊
一次文献堀田正敦 ほか 編
寛政重修諸家譜(1799–1812 年成立)巻第七十六は、井伊氏について、遠江国引佐郡井伊谷(現在の静岡県浜松市浜名区引佐町井伊谷)を本貫とし、井伊直政を中興の祖として彦根藩主家・井伊掃部頭家として続いた家譜を整理する。国立国会図書館デジタルコレクション原本を参照。
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1082720彦根城博物館 公式サイト 彦根藩主井伊家
機関資料彦根城博物館
直政から直憲まで十四代にわたり国替えなく彦根を統治。譜代大名筆頭の家格を誇った
https://hikone-castle-museum.jp/history/渭伊神社境内遺跡 しずおか文化財ナビ
機関資料静岡県教育委員会
式内社渭伊神社の境内から古墳時代の祭祀遺物が出土。県指定史跡
https://www.pref.shizuoka.jp/kankosports/bunkageijutsu/bunkazai/1002825/1041003/1041889/1004986/1021511.html彦根藩井伊家文書(重要文化財) 文化遺産オンライン
機関資料文化庁
関ヶ原合戦後の佐和山十八万石拝領から廃藩までの井伊家藩政文書約 27,800 点
https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/134274井伊氏 – Wikipedia 日本語版
二次資料Wikipedia contributors
遠江国引佐郡渭伊郷井伊谷を本拠とした武家。譜代大名筆頭・彦根藩主家
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%95%E4%BC%8A%E6%B0%8F井伊氏 - Wikipedia 日本語版
二次資料Wikipedia contributors
井伊氏の系譜・本拠地・主要人物・後世展開に関する二次整理。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%95%E4%BC%8A%E6%B0%8F