石川氏の分類ビジュアル

諸蕃

石川氏

公開検証済みいしかわし出自: 河内

石川氏は、河内を拠点とした諸蕃の氏族。蘇我氏の一族・蘇我石川麻呂の系譜を引き、大化改新後も河内石川郡に続いた氏族。

概要

石川氏は、河内国石川郡(現大阪府南河内郡周辺)を本拠とした古代氏族で、蘇我氏(既出 soga-clan)の傍流。乙巳の変(645 年)で蘇我本宗家が滅んだ後、孝徳朝の右大臣を務めた蘇我倉山田石川麻呂の系統が「石川朝臣」として続いた。奈良時代を通じて中級官人として朝廷に仕え、平安期まで存続した。

祖神

『新撰姓氏録』右京諸蕃の石川朝臣条は、武内宿禰の子 蘇我石川宿禰を祖と記し、本宗の蘇我氏と同祖の武内宿禰系譜に位置づける。神格を直接の祖神とせず、皇祖系の伝説的人物 武内宿禰を起点とする系譜。乙巳の変後、蘇我倉山田石川麻呂(?–649)の系統が河内国石川郡に拠点を構えたことから、地名を負って「石川朝臣」を称した。同祖系譜には蘇我氏・葛城氏・平群氏・巨勢氏・紀氏など武内宿禰系氏族群が連なる。

主な人物・史的動向

蘇我倉山田石川麻呂は孝徳朝の右大臣を務めたが、大化五年(649 年)に弟 蘇我日向の讒言により謀反の疑いをかけられ、山田寺で自害した。後に冤罪と判明し、子孫は石川朝臣として復権した。奈良時代の石川年足(688–762)は孝謙朝の御史大夫(大納言相当)に昇り、藤原仲麻呂政権の中枢を担った。石川名足(728–788)も光仁・桓武朝に参議として活躍し、奈良時代を通じて石川氏は中央政界に一定の地位を保った。

関連神社・氏神信仰

山田寺跡(奈良県桜井市山田)は蘇我倉山田石川麻呂が建立した氏寺の遺構で、塔・金堂・回廊跡が国指定史跡として保存される。発掘で出土した山田寺仏頭は興福寺東金堂に伝来し、国宝に指定される。河内の石川郡一帯には石川氏ゆかりの式内社・氏寺の痕跡が散在し、本宗の蘇我氏が建立した飛鳥寺(既出)の祭祀圏と一体の信仰圏を形成した。

出典

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