
神別
葛城氏は、大和を拠点とした神別の氏族。大和国葛城を本拠とし、応神天皇と深く結んだ古代有力豪族の系譜。
葛城氏は、大和国葛城地方(現奈良県御所市・葛城市周辺)を本拠とした古代有力豪族。武内宿禰の子 葛城襲津彦(かつらぎのそつひこ)を祖と伝え、5 世紀の倭五王期に大王家と婚姻関係を結んで政権の中枢に位置した。仁徳・履中・反正・允恭の四代にわたって后妃・大臣を出し、5 世紀の倭政権を実質的に支えた。
『新撰姓氏録』大和国皇別の葛城朝臣条は「武内宿禰之後也」と記し、孝元天皇の孫 武内宿禰の子 葛城襲津彦を直接の祖とする皇別氏族と位置づける。神格を直接の祖神とせず、武内宿禰系の同祖系譜(平群氏・蘇我氏・巨勢氏・紀氏)の一員として系譜化される点が特徴。これとは別に、神別の葛木忌寸(かつらきのいみき)は『新撰姓氏録』右京神別上に高皇産霊尊後裔として記され、葛城地方には皇別・神別の二系統が併存した。
葛城襲津彦は『日本書紀』神功紀・応神紀に新羅遠征を率いた将軍として登場し、武力と外交の双方を担う重臣として描かれる。その子 葛城円大臣(かつらぎのつぶらおおおみ、?–456)は安康・雄略朝に大臣を務めたが、雄略元年(456 年)に眉輪王(まよわのおおきみ)を匿った罪で雄略天皇に焼き討ちにされ、本宗家は滅んだ。襲津彦の娘 磐之媛は仁徳天皇皇后となり、履中・反正・允恭の三天皇を生んだとされる。
高鴨神社(奈良県御所市鴨神)・葛城一言主神社(御所市森脇)は葛城地方の式内社で、葛城氏の祭祀圏に属する。高鴨神社は味鋤高彦根神を、一言主神社は一言主大神を祀り、ともに『古事記』『日本書紀』雄略段に登場する葛城の神々を本宗とする。葛城地方には金剛山・葛城山を背景とする独自の山岳祭祀があり、後に役小角(えんのおづの)の修験道の発祥地として「葛城修験」に展開した。
古事記(和銅5年)— 葛城氏族に関わる系譜記述
一次文献太安万侶(和銅5年)
古事記(和銅5年)— 葛城氏族に関わる系譜記述に基づく葛城氏の代表的な典拠整理。
https://dl.ndl.go.jp/pid/1920952Wikipedia「葛城氏」
二次資料Wikipedia「葛城氏」を参照した葛城氏の系譜・地域的受容の補助確認。
https://ja.wikipedia.org/wiki/葛城氏