
神別
巨勢氏は、大和を拠点とした神別の氏族。武内宿禰の後裔と伝わり、大和・河内を拠点に天皇側近の官職を世襲した氏族。
巨勢氏(許勢氏、許世氏)は、大和国高市郡巨勢郷(現奈良県御所市古瀬周辺)を本拠とした古代豪族。武内宿禰後裔の同祖系譜に属し、葛城氏・蘇我氏・平群氏・紀氏らと並んで畿内の有力氏族群を成した。飛鳥・奈良時代に大臣・大納言を輩出し、朝廷の枢機に参与した。
『古事記』孝元天皇段は、孝元天皇の孫 武内宿禰の子 許勢小柄宿禰(こせのおからのすくね)を巨勢臣の祖と記す。武内宿禰系の同祖系譜には葛城臣・平群臣・蘇我臣・紀臣・羽田臣などが連なり、巨勢氏はその一支として位置づけられる。『新撰姓氏録』左京皇別上にも巨勢朝臣が武内宿禰後裔として記され、皇別系として整理される。神話的な神格を祖とせず、武内宿禰という伝説的英雄を共通祖と仰ぐ点で、大和の古代豪族群の系譜構造を典型的に示す。
巨勢徳多(?–658)は孝徳朝の左大臣として大化改新政府を支え、白雉四年(653 年)から斉明四年(658 年)まで職にあった。巨勢人臣・巨勢黒麻呂は壬申の乱(672 年)で双方に分かれて戦った記録が『日本書紀』にあり、氏族内部の動向が時局を反映する。奈良時代の巨勢野足(749–816)は嵯峨朝に大納言まで昇り、巨勢氏の中央政界での勢威を維持した。平安期以降は次第に勢威を失うが、巨勢派の絵師 巨勢金岡(生没年不詳、9 世紀後半)が宮廷絵所の祖として活躍し、和様絵画の祖と称される。
巨勢山口神社(奈良県御所市古瀬)は『延喜式神名帳』に大和国葛上郡の小社として記され、巨勢氏の本拠地に鎮座する氏神社。巨勢郷一帯には巨勢寺跡(御所市古瀬、推古朝の創建と伝える)など、巨勢氏ゆかりの遺跡が点在する。同祖系譜の葛城氏氏神 葛城一言主神社・高鴨神社とも近接し、武内宿禰系氏族の祭祀圏を構成する。
新撰姓氏録(弘仁6年)— 神別・巨勢氏族条
一次文献藤原緒嗣 他(弘仁6年勅撰)
新撰姓氏録(弘仁6年)— 神別・巨勢氏族条に基づく巨勢氏の代表的な典拠整理。
https://dl.ndl.go.jp/pid/2543361Wikipedia「巨勢氏」
二次資料Wikipedia「巨勢氏」を参照した巨勢氏の系譜・地域的受容の補助確認。
https://ja.wikipedia.org/wiki/巨勢氏