
神別
久米氏は、大和・伊予を拠点とした神別の氏族。来目部の祖と伝わり、神武東征の護衛として久米歌に由緒を持つ古代軍事氏族。
久米氏(久米直、来目部)は、神武東征伝承に登場する久米歌に由緒を持つ古代の軍事氏族。大伴氏と並んで朝廷の警護・武門を担い、来目部(くめべ)と呼ばれる兵士集団を統率した。大和国高市郡久米(現奈良県橿原市久米町)を本拠とし、伊予国にも分流が展開した。
『新撰姓氏録』左京神別上は、久米直を天津久米命(あまつくめのみこと)の後裔と記す。天津久米命は『古事記』上巻 天孫降臨段で、天忍日命(大伴氏祖神)とともに大刀・弓矢を帯びて邇邇芸命の前駆として降臨した武門神。両神は天孫降臨供奉神の対として記され、大伴氏(天忍日命系)と久米氏(天津久米命系)は古代の宮廷武門の対をなす関係で、平安期の編纂物までこの組み合わせが踏襲される。
『古事記』中巻 神武天皇段には、神武東征に従軍した久米部が長髄彦・兄磯城らとの戦闘を前に歌った「久米歌」が複数収録される。「みつみつし久米の子らが粟生には韮一茎そねが本そね芽繋ぎて撃ちてし止まむ」など、武勇を鼓舞する歌として伝わる。奈良時代の久米若女・久米奈保麻呂などが『続日本紀』に見え、宮廷武官として仕えた。久米歌は宮中の儀礼歌として奈良時代以降も伝承され、現在も宮中の大嘗祭・新嘗祭の儀礼で謡われる。
久米御縣神社(奈良県橿原市久米町)は『延喜式神名帳』に大和国高市郡の式内社として記され、久米氏の氏神社。大来目部の祖神を祀ると伝える。伊予国の久米神社(愛媛県松山市来住町)は伊予久米部の氏神で、伊予国分流の系譜を伝える。久米氏の名は、伊予国の修験寺院 久米寺(奈良県橿原市久米町、来目皇子建立伝承)にも反映される。
新撰姓氏録(弘仁6年)— 神別・久米氏族条
一次文献藤原緒嗣 他(弘仁6年勅撰)
新撰姓氏録(弘仁6年)— 神別・久米氏族条に基づく久米氏の代表的な典拠整理。
https://dl.ndl.go.jp/pid/2543361Wikipedia「久米氏」
二次資料Wikipedia「久米氏」を参照した久米氏の系譜・地域的受容の補助確認。
https://ja.wikipedia.org/wiki/久米氏