
神別
物部氏は、大和・河内を拠点とした神別の氏族。饒速日命を祖と伝える大和の古代豪族で、武器・軍事を掌った神別氏族。
物部氏は、古代大和朝廷で武器・軍事と祭祀を担った神別氏族。「物部」は「物(武器・呪具)の部」を意味し、朝廷の軍備と神宝の管掌を職掌とした。6 世紀後半に大連(おおむらじ)として政権の中枢に位置したが、崇仏派の蘇我氏との抗争に敗れて勢威を失った。
『新撰姓氏録』左京神別上は、物部連を饒速日命(にぎはやひのみこと)の後裔と記す。『日本書紀』神武紀および『先代旧事本紀』天孫本紀によれば、饒速日命は神武東征以前に天磐船で河内国河上の哮峯(いかるがのみね)に降臨し、大和の長髄彦の妹 三炊屋媛を娶って宇摩志麻治命を生んだ。宇摩志麻治命が物部氏の直接の祖とされ、同祖系譜には穂積氏・采女氏など各地の物部諸氏族が連なる。
物部尾輿(?–6 世紀中葉)は欽明朝の大連として中臣氏とともに崇仏に反対した。その子 物部守屋(?–587)は敏達・用明朝の大連として政権を主導したが、用明天皇崩御後の丁未の乱で蘇我馬子・厩戸皇子(聖徳太子)連合軍に攻められ、河内国渋川(大阪府八尾市)の本拠で討たれた。守屋の敗北により大連としての物部氏は没落したが、傍流の石上氏(いそのかみうじ)が大和に残って神宮祭祀を継承した。
石上神宮(奈良県天理市布留町)は物部氏の氏神社で、神剣 布都御魂(ふつのみたま)を祀る。『日本書紀』崇神紀に物部氏の祖 伊香色雄命が神宝を奉斎したと伝え、『延喜式神名帳』には大和国山辺郡の名神大社「石上坐布都御魂神社」として記される。物部守屋の本拠跡には守屋祠が祀られ、河内・大和各地の物部関連社が氏神信仰の痕跡を残す。
新撰姓氏録(弘仁6年)— 神別・物部氏族条
一次文献藤原緒嗣 他(弘仁6年勅撰)
新撰姓氏録(弘仁6年)— 神別・物部氏族条に基づく物部氏の代表的な典拠整理。
https://dl.ndl.go.jp/pid/2543361Wikipedia「物部氏」
二次資料Wikipedia「物部氏」を参照した物部氏の系譜・地域的受容の補助確認。
https://ja.wikipedia.org/wiki/物部氏