
皇別
多氏は、大和を拠点とした皇別の氏族。神武天皇の後裔と伝わる多氏で、大和を拠点に史書編纂や神事に携わった皇別氏族。
多氏(おおうじ)は、大和国十市郡飫富郷(現奈良県磯城郡田原本町多周辺)を本拠とした皇別氏族。「多」「太」「飫富」「意富」など多様な表記を持つ。神武天皇の皇子を祖とする最古層の皇別系譜を称し、史書編纂・神事に携わった。奈良時代の太安万侶(おおのやすまろ)が『古事記』撰録の中心人物として知られる。
『古事記』神武天皇段は、神武天皇と皇后 比売多多良伊須気余理比売(ひめたたらいすけよりひめ)の皇子 神八井耳命(かむやいみみのみこと)を、意富臣(多氏)をはじめ阿蘇君・筑紫三家連・伊予国造など多くの諸氏の祖と記す。神格を直接の祖神とせず、初代天皇 神武の皇子を始祖とする皇別系最古の系譜の一つ。同祖系譜は九州・四国・東国に広く分布し、阿蘇神社の祭祀を継承する阿蘇氏も同祖の系譜として位置づけられる。
太安万侶(?–723)は元明天皇の勅命を受け、稗田阿礼(ひえだのあれ)の誦習する帝紀・旧辞を撰録し、和銅五年(712 年)に『古事記』を撰上した。安万侶の墓は昭和五十四年(1979 年)に奈良市此瀬町で発見され、墓誌銘に「左京四条四坊従四位下勲五等太朝臣安萬侶」と刻まれて『古事記』撰者の実在を確証した。安万侶の子 多人長は『日本紀講筵』に関わり、平安初期の神祇研究を担った。
多坐弥志理都比古神社(おおにいますみしりつひこじんじゃ、奈良県磯城郡田原本町多)は多氏の本貫地の氏神社で、『延喜式神名帳』に大和国十市郡の式内名神大社として記される。祭神は神八井耳命を中心とする多氏祖神群。阿蘇神社(熊本県阿蘇市一の宮町)は同祖の阿蘇氏が祀る肥後国一宮で、健磐龍命(たけいわたつのみこと、神八井耳命の子)を主祭神とし、多氏同祖系譜の祭祀圏を九州にまで広げる。
古事記(和銅5年)— 多氏族に関わる系譜記述
一次文献太安万侶(和銅5年)
古事記(和銅5年)— 多氏族に関わる系譜記述に基づく多氏の代表的な典拠整理。
https://dl.ndl.go.jp/pid/1920952Wikipedia「多氏」
二次資料Wikipedia「多氏」を参照した多氏の系譜・地域的受容の補助確認。
https://ja.wikipedia.org/wiki/多氏