
氏族
一萬田氏(いちまだし)は、日本の氏族。著名な一族は、九州の豊後国(現在の大分県)を本拠とした一族で、豊後国の戦国大名大友氏の庶家であり、鎌倉時代から戦国時代にかけて、御紋衆を務めた。居城は大野郡一萬田村の小牟礼城及び支塁の鳥屋城。
一萬田氏(いちまだし)は、豊後大友氏の庶流として鎌倉期に成立した武家氏族。豊後国大野郡一萬田村(現大分県豊後大野市朝地町一萬田)を本貫とし、約四百年にわたって同地を支配した。本宗 大友氏の有力家臣として豊後国内の軍事・所領支配を担ったが、戦国末期に大友宗麟・義統との内訌により断絶した。
家祖は大友能直の三男 大友時景(景直)。建久七年(1196 年)に父 能直が豊前・豊後両国守護兼鎮西奉行として下向した後、時景は大野郡一萬田村に所領を得て一萬田を称した。豊後大友氏一門のうち、田原氏・志賀氏・戸次氏らと並ぶ古庶家として、大友氏家中の重きを成した。
家祖 一萬田時景は延応二年・仁治元年(1240 年)頃に大野郡内に鳥屋城を築き、本拠を整備した。戦国期の一萬田親実(弾正忠)は大友宗麟による誅殺で死去、一萬田鑑実(兵部大輔)・鎮実(民部大輔)父子もそれぞれ宗麟・義統に自刃を命じられ、本宗家は内訌により事実上断絶した。近代では同氏の系統から一万田尚登(1893–1980)が日本銀行第十八代総裁・大蔵大臣を歴任し、戦後金融政策の中枢を担った。
本拠 一萬田氏館跡(豊後大野市朝地町)には城館・居館遺構が残り、大野郡内の中世武家拠点として地域史跡に位置づけられる。大友氏一門の祖神信仰は豊後国一宮 柞原八幡宮(大分市八幡)に集約され、一萬田氏もこの大友家氏神信仰圏に属した。
大友家文書録
一次文献大友家旧蔵(東京大学史料編纂所架蔵)
鎌倉初期に豊前・豊後の守護兼鎮西奉行となった大友能直以来の大友氏家中文書を集成した史料群。能直三男 大友時景(景直)に発する庶家 一萬田氏の領知・所職・大友宗家との関係文書を含み、豊後大野郡一萬田村(現大分県豊後大野市朝地町)を本拠とした同氏歴代の動向を伝える。
一萬田氏 - Wikipedia 日本語版
二次資料Wikipedia contributors
一萬田氏の系譜・本拠地・主要人物・後世展開に関する二次整理。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%80%E8%90%AC%E7%94%B0%E6%B0%8F