
氏族
清和源氏 足利支族の武家。室町幕府の四職家として丹後・若狭・三河を領し、戦国末期に滅亡した。
一色氏(いっしきし)は、清和源氏 足利氏の支族で、室町幕府の侍所頭人を務めた四職(赤松・京極・山名・一色)の一家。足利氏三代 泰氏の子 公深(きみずみ)が、三河国吉良荘一色(現在の愛知県西尾市一色町)を領して一色を称したことに始まる。南北朝期に足利尊氏に従って戦功を挙げ、丹後・若狭・三河の守護に任ぜられた。
祖は清和天皇に発する清和源氏。『尊卑分脈』源氏部および『寛政重修諸家譜』巻第百五十七 一色は、源義家の子 義国を経て、足利義康・義兼・義氏・泰氏と続き、泰氏の子 公深が一色を称したと記す。同じ足利氏支族として吉良氏・今川氏・斯波氏・畠山氏が並び、これらは室町幕府を支える御一家衆を構成した。
一色範氏(?–1369)は南北朝期に九州探題として九州経営に当たり、子 一色直氏とともに足利尊氏方の九州拠点を維持した。室町中期の一色義貫(1409–1440)は侍所頭人を務めたが、永享十二年(1440 年)に大和で将軍 足利義教の命により謀殺された。戦国期の一色義道は丹後国を本拠としたが、天正七年(1579 年)細川藤孝・明智光秀勢に攻められて自刃し、子 義定も天正十年(1582 年)に細川氏により誅殺され、本宗家は滅亡した。
足利氏支族の吉良氏・今川氏・斯波氏・畠山氏は同祖関係にあり、いずれも『尊卑分脈』源氏部に系譜が記される。丹後一色氏の旧領は江戸期に細川氏・京極氏らに引き継がれ、傍流の一色直朝系は徳川氏に仕えて旗本として存続した。
寛政重修諸家譜 巻第百五十七 一色
一次文献堀田正敦 ほか 編
寛政重修諸家譜(寛政11年〜文化9年、1799–1812 年成立)巻第百五十七は、清和源氏 足利支族の一色氏について、足利泰氏の子 公深を祖とする家譜と、室町幕府の四職家として丹後・若狭・三河を領した分流を整理する。国立国会図書館デジタルコレクション原本を参照。
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1082720一色氏 - Wikipedia 日本語版
二次資料Wikipedia contributors
一色氏の系譜・本拠地・主要人物・後世展開に関する二次整理。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%80%E8%89%B2%E6%B0%8F