
氏族
陸奥国伊達郡を本貫とした武家。奥州合戦の戦功で同地を得、戦国期に伊達政宗が東北を席巻、江戸期は仙台藩主家として続いた。
伊達氏(だてし、古くは「いだて」とも)は、陸奥国伊達郡(現在の福島県伊達市・伊達郡)を本貫地とする武家。文治五年(1189 年)の源頼朝による奥州合戦に常陸入道念西が従軍し、戦功により伊達郡を与えられて伊達を称したことに始まる。戦国期に伊達政宗の代で東北最大の戦国大名となり、江戸期は陸奥仙台六十二万石を領する外様大名筆頭格として続いた。
『寛政重修諸家譜』巻第二百八 伊達は、伊達氏を藤原北家山蔭流 伊佐朝宗の流れと称する家伝を伝える。確実な初代は十二世紀末の伊達朝宗(常陸入道念西)で、源頼朝の奥州合戦に従軍し、文治五年(1189 年)の陣で阿津賀志山合戦の戦功を挙げ、陸奥国伊達郡を恩賞地として与えられた。同祖系譜には常陸国伊佐荘を本拠とした伊佐氏(中村氏)が連なり、伊達氏は伊佐氏の支族として『尊卑分脈』にも記される。
伊達稙宗(1488–1565)は陸奥守護に補任され、分国法『塵芥集』を制定して戦国大名化を進めた。その孫 伊達政宗(1567–1636)は天正十七年(1589 年)の摺上原の戦いで蘆名氏を破って会津を併呑し、東北南部から南奥に勢力を広げた。豊臣秀吉の小田原征伐への遅参により会津を没収されたが、関ヶ原で東軍に属し、慶長五年(1600 年)に陸奥仙台六十万石を領して仙台藩を確立した。政宗は慶長十八年(1613 年)に支倉常長を慶長遣欧使節として欧州に派遣し、ローマ教皇 パウルス五世に謁見させた。幕末の伊達宗城(1818–1892)は宇和島伊達家の藩主で、四賢侯の一人として明治政府にも参画した。
伊達氏の傍流からは、伊予宇和島藩主の伊達氏(政宗の庶長子 秀宗の系統、十万石)、伊予吉田藩主家、上総一関藩主家など、複数の分家大名家が立った。仙台藩家臣団としては片倉氏(白石城主)・茂庭氏・伊達一門衆が知られ、これらは『仙台藩家臣録』などにも整理される。
寛政重修諸家譜 巻第二百八 伊達
一次文献堀田正敦 ほか 編
寛政重修諸家譜(1799–1812 年成立)巻第二百八は、伊達氏を藤原北家山蔭流 伊佐朝宗の後裔 常陸入道念西の子 為宗・為重・資綱・為家の四子の系譜として整理し、文治五年(1189 年)の奥州合戦の戦功で陸奥国伊達郡(現在の福島県伊達市・伊達郡)を与えられた経緯と、仙台藩主家・宇和島藩主家への分岐を示す。国立国会図書館デジタルコレクション原本を参照。
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1082720伊達氏 - Wikipedia 日本語版
二次資料Wikipedia contributors
伊達氏の系譜・本拠地・主要人物・後世展開に関する二次整理。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%8A%E9%81%94%E6%B0%8F