
氏族
朝倉氏(あさくらし)は、但馬国を発祥とする氏族。越前国を拠点とし、後に発展して戦国大名となった越前朝倉氏が有名。藤原氏流等の朝倉氏もあるとされるが、別項にて扱う。
朝倉氏(あさくらし)は、戦国期の越前国(現福井県北部)を本拠とした戦国大名。但馬国養父郡朝倉(現兵庫県養父市八鹿町朝倉)に発する日下部氏の一流で、文明年間(1469–1487)以降、越前守護代から自立して一乗谷(福井市城戸ノ内町)を本拠に分国支配を確立した。越前を中心に若狭・加賀・近江・美濃へも勢力を及ぼし、五代百年にわたる戦国大名家として続いた。
本姓は日下部氏で、開化天皇あるいは孝徳天皇の後裔と諸系図に伝える。家祖 朝倉宗高は平安末期に但馬国朝倉荘を本貫としたとされ、南北朝期の朝倉広景が越前守護 斯波高経に従って越前に下向したのが越前朝倉氏の起点。広景の子孫が越前守護代の地位を世襲し、応仁の乱を機に主家斯波氏を退けて戦国大名化した。
朝倉孝景(敏景、英林、1428–1481)は応仁の乱で西軍から東軍に転じ、越前守護代から事実上の守護として越前一国を掌握、分国法「朝倉孝景条々」を制定して戦国大名朝倉家の基礎を築いた。一乗谷の城下町整備を進め、戦国期の越前は京都に次ぐ文化的中心地となる。十一代当主 朝倉義景(1533–1573)は将軍 足利義昭を一時保護したが、織田信長との対立から元亀元年(1570 年)の姉川合戦・天正元年(1573 年)の刀禰坂合戦で敗れ、同年八月に一乗谷で自害して朝倉本宗家は滅亡した。
一乗谷朝倉氏遺跡(福井市城戸ノ内町)は国の特別史跡・特別名勝に指定され、館跡・庭園・城下町跡が現存する。朝倉氏の菩提寺 心月寺(福井市西方)は孝景以来の朝倉家歴代の墓所を伝え、本拠地遺構と一体の祭祀景観を成す。但馬の朝倉氏発祥地には朝倉神社(兵庫県養父市八鹿町朝倉)が祖先伝承を継ぐ。
朝倉始末記
一次文献編者未詳(江戸前期成立)
越前一乗谷を本拠とした戦国大名 朝倉氏五代(孝景・氏景・貞景・孝景・義景)の盛衰を編年で記す江戸前期の軍記物。朝倉氏の出自を但馬国養父郡朝倉に発する日下部氏とし、応仁の乱期の越前移住・分国法「朝倉孝景条々」制定・天正元年(1573 年)一乗谷落城までを伝える基本史料。
朝倉氏 - Wikipedia 日本語版
二次資料Wikipedia contributors
朝倉氏の系譜・本拠地・主要人物・後世展開に関する二次整理。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%9D%E5%80%89%E6%B0%8F