
氏族
日本の氏族。幾つかの流れがある。 源姓新田氏族山名氏。本項で詳述。 丈部姓有道氏一門山名氏は、武蔵七党の一派児玉党の一族。 陸奥国磐城郡の大國魂の社家山名氏。平氏を称した岩城氏一族の出の國魂氏が 室町期以降 山名氏を名乗った。後に大江姓を称し、次いで清和源氏と称した。
山名氏(やまなし)は、清和源氏新田氏流の武家氏族。新田義重の庶子 山名義範が上野国多胡郡山名郷(現群馬県高崎市山名町)を本貫地として山名を称したことに始まる。南北朝・室町期には但馬・伯耆・因幡・備後など最大十一か国の守護を兼ね、「六分一殿」と称される室町幕府有数の大族に成長した。
家祖は山名義範(生没年不詳、鎌倉初期)。父は新田義重で、源頼朝の挙兵に従って鎌倉御家人となり、子孫が上野国山名郷を在所として山名氏を称した。新田氏一門の中では早くから幕府方に与した経緯から、新田本宗家とは別系統として独立し、足利氏とも姻戚関係を結んで室町期に勢威を伸長させた。
山名時氏(1303–1371)は南北朝動乱で足利尊氏に従い、建武四年(1337 年)に伯耆守護に任ぜられて山名氏の守護大名化を進めた。その孫 山名時熙・氏清らの代に守護領は十一か国に達したが、明徳二年(1391 年)の明徳の乱で氏清が三代将軍 足利義満に討たれ、勢威を半減する。応仁元年(1467 年)の応仁の乱では、当主 山名宗全(持豊、1404–1473)が西軍総帥として東軍細川勝元と対峙し、文明五年(1473 年)の宗全死去まで戦乱の中心に立った。江戸期には但馬村岡領を継承し、明治維新で立藩・華族(男爵)に列せられた。
山名八幡宮(群馬県高崎市山名町)は建長年間(1249–1256)に山名義範が宇佐八幡宮を勧請したと伝え、本貫地の氏神社として継承された。但馬出石・村岡には山名氏歴代の菩提寺 法雲寺(兵庫県美方郡香美町)・宗鏡寺(兵庫県豊岡市出石町)があり、近世以降も山名家の祭祀の中核を成す。
寛政重修諸家譜 巻第百四十二 山名氏
一次文献林述斎 ほか 編
寛政十一年(1799 年)起稿、文化九年(1812 年)完成の幕府編纂 大名・旗本系譜集成。巻第百四十二 山名氏の項に、清和源氏新田氏流 山名義範を家祖とする系図と、室町期守護・但馬山名氏・江戸期交代寄合村岡領主家までの歴代当主・知行・官途を編年で収録する。
山名氏 - Wikipedia 日本語版
二次資料Wikipedia contributors
山名氏の系譜・本拠地・主要人物・後世展開に関する二次整理。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E5%90%8D%E6%B0%8F