
氏族
北条氏(ほうじょうし、旧字体: 北條氏)は、伊豆国出身の豪族で、鎌倉幕府の執権職を世襲した一族である。戦国大名北条氏(後北条氏、小田原北条氏)との混同を避けるため鎌倉北条氏、もしくは代々鎌倉幕府執権職を継承したことから執権北条氏と呼ばれることもある。通字は時(とき)。
北条氏(ほうじょうし)は、伊豆国田方郡北条(現静岡県伊豆の国市)を本貫とした武家。鎌倉幕府の執権職を世襲し、嫡流は得宗(とくそう)家として元仁元年(1224 年)の北条泰時就任以降、貞応・寛喜から元弘三年(1333 年)の幕府滅亡まで、おおむね一世紀にわたり幕政の中核を掌握した。戦国期の小田原北条氏(後北条氏)と区別する目的で鎌倉北条氏・執権北条氏とも呼ばれる。通字は「時」。
家伝では桓武平氏の流れを称し、伊勢平氏の祖 平維衡の後裔 平直方(なおかた)の子孫 時家(時直)を始祖と伝えるが、『吾妻鏡』および『尊卑分脈』の系譜記載には欠落が多く、近代以降の学界では出自を桓武平氏に確定する根拠は乏しいとされる。伊豆国田方郡北条を在地基盤とし、源頼朝(1147–1199)の流人時代から外戚として結びつき、時政の女 政子の入嫁を以て幕府創設後の地位を確立した。家紋は三つ鱗。
北条時政(1138–1215)は初代執権として頼朝挙兵を支え、その子 北条義時(1163–1224)は和田合戦(1213 年)で侍所別当を兼ね、承久三年(1221 年)の承久の乱で後鳥羽上皇方を破って執権政治の基礎を据えた。三代執権 北条泰時(1183–1242)は貞永元年(1232 年)に『御成敗式目』を制定し、八代執権 北条時宗(1251–1284)は文永十一年(1274 年)・弘安四年(1281 年)の元寇に対処した。元弘三年(1333 年)、新田義貞の鎌倉攻めに敗れ、十四代執権 北条高時以下一門は東勝寺に拠って自害し、得宗家は滅亡した。
得宗家から分かれた名越家・常盤家・佐介家・大仏家・金沢家・赤橋家などは「北条十六家」と総称され、評定衆の上位席を独占した。後北条氏(小田原北条氏)は鎌倉北条氏との血縁を有しないが、伊勢宗瑞(早雲)の子 氏綱が大永三年(1523 年)頃に北条改姓を行ったため、両者は別系統として『寛政重修諸家譜』巻第六十二・第六十三に分けて立項される。
寛政重修諸家譜 巻第六十二 北条
一次文献幕府編纂(堀田正敦総裁)
寛政十一年(1799 年)から文化九年(1812 年)にかけて幕府が編纂した『寛政重修諸家譜』巻第六十二は、伊豆国田方郡北条を本貫とする鎌倉北条氏の系譜・職歴を収載し、執権歴代の補任年次と幕末諸家への分流関係を一次史料として伝える。
https://dl.ndl.go.jp/北条氏 - Wikipedia 日本語版
二次資料Wikipedia contributors
北条氏の系譜・本拠地・主要人物・後世展開に関する二次整理。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E6%9D%A1%E6%B0%8F