
氏族
常陸国を本拠とした武家。関ヶ原合戦後に出羽国へ転封され久保田藩主家となった。
佐竹氏は平安末期から近代にかけて活動した武家氏族で、常陸国久慈郡佐竹郷に発し、戦国末期には佐竹義重・義宣父子が常陸国をほぼ統一した。慶長七年(1602 年)関ヶ原合戦後の処分で出羽国秋田に転封され、久保田藩主家として近世を通じ存続した。
出自として清和源氏義光流(常陸源氏)を称し、源頼義の三男・新羅三郎義光の孫・佐竹昌義が常陸国久慈郡佐竹郷(現茨城県常陸太田市稲木町周辺)に土着して佐竹を称したとする伝承が『尊卑分脈』『寛政重脩諸家譜』に伝来する。秋田市公式も「源頼義の三男・義光を祖とします」と記し起源を伝承的に紹介する表現を採る。本記述でも『尊卑分脈』所載の系譜を武家系譜の伝承として参照する立場を採る。
平安末期に佐竹昌義が常陸佐竹郷を本貫として佐竹を称し、南北朝期に守護職を獲得した。戦国末期に佐竹義重・義宣父子が常陸国をほぼ統一し、豊臣秀吉から水戸五十四万石を安堵された。関ヶ原合戦における中立的行動を理由として徳川家康の命により慶長七年(1602 年)に出羽国秋田二十万石へ転封され、久保田城を築いて久保田藩を成立させたと茨城県立歴史館「茨城歴史事典」が記す。江戸中期に三代藩主佐竹義処が家臣に与えた地は、後に八代藩主の代の安永四年(1775 年)に整備されて藩主の保養地となり、平成十九年(2007 年)に「旧秋田藩主佐竹氏別邸(如斯亭)庭園」として国の名勝に指定された。
旧常陸太田には佐竹氏発祥地に関わる史跡群が遺り、現代の秋田市には佐竹史料館が佐竹家伝来資料を公開する。「令和・佐竹」型の広域交流ではないが、常陸太田市と秋田市は佐竹氏の歴史を通じた都市交流を維持している。
新編纂図本朝尊卑分脈系譜雑類要集 第5巻(清和源氏義光流)
一次文献洞院公定 撰
佐竹昌義を清和源氏義光流(常陸源氏)の祖と所載する
https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000039-I991587寛政重脩諸家譜(佐竹氏項)
一次文献堀田正敦 編
幕府編纂の武家系譜集。佐竹氏は清和源氏義光流として収録
https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000002-I000000869904常陸佐竹氏(茨城歴史事典) 茨城県立歴史館
機関資料茨城県立歴史館
新羅三郎義光を祖とする常陸源氏の流れをくみ常陸国久慈郡佐竹郷に本拠を置いた武士団
https://www.rekishikan.museum.ibk.ed.jp/06_jiten/rekisi/hitatisatake.htm佐竹義宣(茨城歴史事典) 茨城県立歴史館
機関資料茨城県立歴史館
関ヶ原合戦後に常陸五十四万石から出羽秋田二十万石へ転封され久保田藩を立藩した
https://www.rekishikan.museum.ibk.ed.jp/06_jiten/rekisi/satakeyosinobu_000.htm旧秋田藩主佐竹氏別邸(如斯亭)庭園 文化遺産オンライン
機関資料文化庁
元禄年間に三代藩主義処が家臣に与えた地が八代藩主の整備で藩主保養地となり国名勝に指定
https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/207333佐竹氏について 秋田市公式
機関資料秋田市
佐竹氏は清和天皇の流れをくむ源氏の名門で源頼義の三男・義光を祖とする伝承を有する
https://www.city.akita.lg.jp/kanko/kanrenshisetsu/1002685/1009872/1048053.html佐竹氏 – Wikipedia 日本語版
二次資料Wikipedia contributors
清和源氏義光の孫昌義が常陸国久慈郡佐竹郷に土着し佐竹氏を称したのに始まる
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%90%E7%AB%B9%E6%B0%8F