
諸蕃
蘇我氏は、大和を拠点とした諸蕃の氏族。武内宿禰の後裔とも伝わり、推古天皇期に政権を掌握した古代有力氏族。
蘇我氏は、飛鳥時代の大和朝廷で大臣(おおおみ)として政権を主導した古代豪族。『新撰姓氏録』では諸蕃に分類される系統と、武内宿禰の後裔とする系譜が併存する。6 世紀後半から 7 世紀半ばまで、大王家との婚姻関係を通じて朝廷の中枢を占め、崇仏と律令導入を推進した。
蘇我氏は神格を祖神に持つよりも、武内宿禰(たけうちのすくね)を直接の祖と伝える。『古事記』孝元天皇段は孝元天皇の孫として武内宿禰を記し、その子 蘇我石川宿禰が蘇我臣の祖となるとする。一方『新撰姓氏録』には渡来系を匂わせる記載もあり、出自については古くから諸説がある。同祖系譜には葛城氏・巨勢氏・平群氏・紀氏・羽田氏などの武内宿禰系氏族が連なり、これらは古代豪族の主要な一群を成す。
蘇我稲目(?–570)は欽明朝の大臣として百済からの仏教公伝を受け入れ、崇仏派の中心となった。その子 蘇我馬子(?–626)は敏達・用明・崇峻・推古朝にわたって大臣を務め、丁未の乱(587 年)で物部守屋を滅ぼし、崇峻天皇暗殺(592 年)を主導したと『日本書紀』は記す。馬子の孫 蘇我入鹿(?–645)は皇極朝に権勢を振るったが、乙巳の変で中大兄皇子・中臣鎌足に討たれ、父 蘇我蝦夷も自害して蘇我本宗家は滅んだ。傍流の蘇我倉山田石川麻呂は孝徳朝の右大臣を務め、後に石川氏として続いた。
飛鳥寺(法興寺、奈良県高市郡明日香村)は崇峻元年(588 年)に蘇我馬子が発願した日本最古の本格的伽藍で、蘇我氏の氏寺として機能した。馬子の墓と伝えられる石舞台古墳(明日香村)は近隣に残る。神社祭祀としては、大和国高市郡の宗我坐宗我都比古神社(橿原市曽我町)が蘇我氏の祖神 宗我都比古命・宗我都比売命を祀り、氏神信仰の痕跡を伝える。
新撰姓氏録(弘仁6年)— 諸蕃・蘇我氏族条
一次文献藤原緒嗣 他(弘仁6年勅撰)
新撰姓氏録(弘仁6年)— 諸蕃・蘇我氏族条に基づく蘇我氏の代表的な典拠整理。
https://dl.ndl.go.jp/pid/2543361Wikipedia「蘇我氏」
二次資料Wikipedia「蘇我氏」を参照した蘇我氏の系譜・地域的受容の補助確認。
https://ja.wikipedia.org/wiki/蘇我氏