
皇別
橘氏は、大和・山城を拠点とした皇別の氏族。光仁天皇期に橘の賜姓を受けた系統が朝廷の四姓の一つとして知られる。
橘氏は、奈良時代に成立した皇別氏族で、平安期には源氏・平氏・藤原氏と並ぶ「源平藤橘」の四姓の一つに数えられた。和銅元年(708 年)に元明天皇から橘宿祢の姓を賜った県犬養三千代(あがたいぬかいのみちよ、?–733)を起点とし、その子 葛城王(684–757)が天平八年(736 年)に臣籍降下して橘諸兄を名乗ったことで本格的な氏族として確立した。
橘氏の祖は神格ではなく、敏達天皇後裔の皇祖。『公卿補任』『尊卑分脈』によれば、葛城王(橘諸兄)は敏達天皇の四世孫 美努王と県犬養三千代の子で、母方の橘姓を継承して橘宿祢、後に橘朝臣となった。橘氏の名称は和銅元年(708 年)、元明天皇が三千代の長年の功績を称え、橘の実を浮かべた盃を賜って「橘宿祢」の姓を授けたという『続日本紀』和銅元年十一月条の故事に由来する。橘の常緑性は不老長寿の象徴とされ、氏族名そのものが祥瑞的意味を担う。
橘諸兄(684–757)は天平期に左大臣として聖武天皇の朝廷を主導し、藤原四子の没後の政権を担った。その子 橘奈良麻呂は天平宝字元年(757 年)に藤原仲麻呂打倒を企てて発覚し、獄死した(橘奈良麻呂の変)。一族はこれにより一時勢威を失うが、平安初期に橘嘉智子(786–850)が嵯峨天皇皇后となり仁明天皇を生んだことで再び勢威を回復した。嘉智子は学館院(がっかんいん)を創建し、橘氏一族の子弟教育の場とした。橘逸勢(?–842)は嵯峨天皇・空海と並ぶ「三筆」の一人として書道史に名を残す。
梅宮大社(京都市右京区梅津フケノ川町)は橘氏の氏神社で、酒解神・大若子神・小若子神・酒解子神を祀る。橘嘉智子が承和年間(834–848)に勧請したと伝え、橘氏一門の祭祀の中核となった。橘諸兄の本拠 山城国相楽郡井手郷(現京都府綴喜郡井手町)には井手寺跡が残り、橘氏ゆかりの地として継承される。学館院は東寺の南に位置し、平安期を通じて橘氏の子弟を教育した。
新撰姓氏録(弘仁6年)— 皇別・橘氏族条
一次文献藤原緒嗣 他(弘仁6年勅撰)
新撰姓氏録(弘仁6年)— 皇別・橘氏族条に基づく橘氏の代表的な典拠整理。
https://dl.ndl.go.jp/pid/2543361Wikipedia「橘氏」
二次資料Wikipedia「橘氏」を参照した橘氏の系譜・地域的受容の補助確認。
https://ja.wikipedia.org/wiki/橘氏