
皇別
平氏は、関東・瀬戸内を拠点とした皇別の氏族。桓武天皇の後裔から分岐した複数系統が武士団の雄として台頭した皇別氏族。
平氏は、平安初期に皇族から臣籍降下した諸系統の総称。「平」の氏は弘仁元年(810 年)以降、桓武・仁明・文徳・光孝の各天皇の子孫に下賜され、桓武平氏が最も繁栄した。地方軍事貴族として東国・西国に展開し、平安末期に伊勢平氏の平清盛が政権を掌握するに至る。
平氏の祖は神格ではなく皇祖。『尊卑分脈』および『新撰姓氏録』系の系譜では、桓武平氏は桓武天皇(737–806)の皇子 葛原親王(786–853)を始祖とする。葛原親王の子 高望王が寛平元年(889 年)に平朝臣の姓を賜って臣籍に下り、上総介として東国に下向したことが、坂東平氏の起点となる。同じ桓武天皇後裔として高棟王流(公卿平氏)も併存し、これら系統は同祖系譜として『尊卑分脈』に整理される。
平将門(?–940)は天慶二年(939 年)に関東で叛乱を起こし「新皇」を称したが、平貞盛・藤原秀郷に討たれた。平正盛・忠盛父子は院政期に白河・鳥羽院に近侍して伊勢平氏を伸長させ、その子 平清盛(1118–1181)は保元・平治の乱を経て太政大臣に登り、武家として初の政権を樹立した。寿永四年(1185 年)の壇ノ浦合戦で平氏一門は安徳天皇とともに海に没し、政権としての平氏は滅亡する。
平氏一門は厳島神社(広島県廿日市市)を篤く崇敬し、清盛は仁安三年(1168 年)から社殿を大規模に造営して海上社殿の現形を整えた。『平家納経』は平氏一門の写経を厳島社に奉納したもので、国宝として現存する。坂東平氏系の千葉氏・三浦氏・畠山氏は妙見信仰を氏神信仰として継承し、千葉神社などに痕跡を残す。
尊卑分脈(南北朝時代)— 平氏諸流の系譜
一次文献洞院公定 編(南北朝時代)
尊卑分脈(南北朝時代)— 平氏諸流の系譜に基づく平氏の代表的な典拠整理。
https://www.hi.u-tokyo.ac.jp/ships/Wikipedia「平氏」
二次資料Wikipedia「平氏」を参照した平氏の系譜・地域的受容の補助確認。
https://ja.wikipedia.org/wiki/平氏