
皇別
丹比氏は、河内を拠点とした皇別の氏族。允恭天皇の後裔と伝わる河内の皇別氏族で、奈良時代まで朝廷に仕えた記録が残る。
丹比氏(たじひし、多治比氏とも)は、河内国丹比郡(現大阪府松原市・羽曳野市周辺)を本拠とした皇別氏族。宣化天皇の皇子 火焔皇子(ほのおのみこ)の後裔と伝わり、和銅元年(708 年)以降の奈良時代を通じて公卿を輩出した。古代の有力皇別氏族として『続日本紀』『万葉集』に数多くの人物を残す。
『新撰姓氏録』左京皇別上は、多治比真人を宣化天皇の皇子 火焔皇子の後裔と記し、賜姓は天武十三年(684 年)の八色の姓(やくさのかばね)制定時に真人(まひと)姓を授けられたとする。神格を直接の祖神とせず、継体天皇の皇子で安閑・欽明天皇の兄弟である宣化天皇(?–539)を皇祖の中核とする皇別系の典型。同じ宣化天皇後裔の真人姓を持つ氏族には、為奈真人・三国真人・島根真人などが連なり、継体・宣化系の皇親氏族群を成す。
丹比真人嶋(たじひのまひとしま、624–701)は持統・文武朝に右大臣を務め、大宝令の制定に関与した重臣。その子 丹比池守(?–730)は元正・聖武朝に参議・大納言を歴任。丹比県守(668–737)は遣唐押使として養老元年(717 年)に唐に渡り、後に従三位中納言に昇った。聖武朝の丹比広足(?–765)は橘奈良麻呂の変に連座して失脚するなど、奈良時代を通じて公卿として活動したが、平安期には次第に勢威を失った。
丹比神社(大阪府堺市美原区多治井)は丹比氏の本貫地の氏神社で、『延喜式神名帳』に河内国丹比郡の式内社として記される。丹比郡は古墳時代から有力氏族の地盤として古市古墳群・百舌鳥古墳群の周縁に位置し、応神・仁徳陵の祭祀圏と接する。河内国府もこの郡に置かれ、丹比氏は郡領家として律令制下まで地縁的影響力を保持した。
新撰姓氏録(弘仁6年)— 皇別・丹比氏族条
一次文献藤原緒嗣 他(弘仁6年勅撰)
新撰姓氏録(弘仁6年)— 皇別・丹比氏族条に基づく丹比氏の代表的な典拠整理。
https://dl.ndl.go.jp/pid/2543361Wikipedia「丹比氏」
二次資料Wikipedia「丹比氏」を参照した丹比氏の系譜・地域的受容の補助確認。
https://ja.wikipedia.org/w/index.php?search=丹比氏