
皇別
和気氏は、備前を拠点とした皇別の氏族。垂仁天皇の後裔と伝わり、宇佐八幡宮神託事件で知られる和気清麻呂を輩出した氏族。
和気氏は、備前国藤野郡(現岡山県和気町周辺)を本拠とした皇別氏族。「和気(わけ)」の氏名は、王族の支族を意味する古代の称号「別(わけ)」に由来し、垂仁天皇皇子の後裔と伝わる。奈良時代末から平安初期に和気清麻呂・広虫の兄妹を輩出し、宇佐八幡宮神託事件(神護景雲三年・769 年)を通じて朝廷の祭祀に深く関わった。
『新撰姓氏録』右京皇別の和気朝臣条は、垂仁天皇の皇子 鐸石別命(ぬでしわけのみこと)を始祖と記す。神格を直接の祖神とせず、皇祖(垂仁天皇)からの賜姓由来を系譜の中心とする皇別系の典型である。同祖系譜には磐梨別公・三宅連など、鐸石別命後裔とされる諸氏族が連なる。奈良末期の延暦四年(785 年)、藤野和気真綱・清麻呂兄弟が和気朝臣を賜姓されたことが、氏としての確定点となる。
和気清麻呂(733–799)は神護景雲三年(769 年)、称徳天皇の勅命で宇佐八幡宮に参向し、道鏡を皇位に就けるべしとの神託の真偽を確かめるよう命じられた。清麻呂は復命で道鏡擁立を否定する神託を奏上し、配流されたが、桓武朝に復権して長岡京・平安京造営の重要事業に参画した。姉 和気広虫(730–799)は孤児養育で知られ、葛野郡愛宕寺(神護寺の前身)の整備に関わる。平安期には和気氏は典薬寮の医博士として典薬頭職を世襲し、医家としても続いた。
護王神社(京都市上京区桜鶴円町)は和気清麻呂・広虫を祭神とし、平安京遷都に関わる清麻呂の功績を称えて明治十九年(1886 年)に現在地(京都御所西側)に遷座された。和気神社(岡山県和気郡和気町藤野)は清麻呂の生誕地に鎮座し、和気氏の本貫地の氏神社として続く。宇佐八幡宮(大分県宇佐市)は神託事件の舞台であり、和気氏と八幡信仰の結節点として、後の朝廷の八幡信仰受容(石清水八幡宮勧請)の前史をなす。
新撰姓氏録(弘仁6年)— 皇別・和気氏族条
一次文献藤原緒嗣 他(弘仁6年勅撰)
新撰姓氏録(弘仁6年)— 皇別・和気氏族条に基づく和気氏の代表的な典拠整理。
https://dl.ndl.go.jp/pid/2543361Wikipedia「和気氏」
二次資料Wikipedia「和気氏」を参照した和気氏の系譜・地域的受容の補助確認。
https://ja.wikipedia.org/wiki/和気氏