
諸蕃
秦氏は、山城・河内を拠点とした諸蕃の氏族。新撰姓氏録に諸蕃として記録された渡来系氏族で、山城国葛野郡を本拠に養蚕・機織技術をもたらした。
秦氏は、5 世紀ごろに朝鮮半島を経て渡来した諸蕃系氏族。『日本書紀』応神十四年条は、弓月君(ゆづきのきみ、融通王)が百済から 120 県の民を率いて来朝したと記し、これが秦氏の渡来伝承の核となる。養蚕・機織・冶金・土木の先進技術を伝え、山城国葛野郡(現京都市右京区・西京区)を本拠に近畿一帯に展開した。
『新撰姓氏録』山城国諸蕃は、秦造を秦始皇帝の子孫 弓月君の後裔と記す。神格を祖とする神別氏族とは性格を異にし、渡来祖 弓月君を始祖伝承の中心に据えるのが特徴。山城国の太秦(うずまさ)一帯に集住し、雄略期の秦酒公(はたのさけのきみ)が秦民を統率して庸調を奉ったと『日本書紀』雄略十五年条に記される。同祖系譜には秦忌寸・秦長蔵連など多くの支流が連なり、技術者集団としての氏族構造を持った。
秦河勝(はたのかわかつ、生没年不詳、6 世紀末–7 世紀前半)は推古朝に厩戸皇子(聖徳太子)に近侍し、推古十一年(603 年)に皇子から仏像を授かって蜂岡寺(広隆寺)を建立したと『日本書紀』は記す。奈良時代以降の秦氏は造酒司の伴造、絹織物・染色の工人として宮廷に仕え、平安遷都(794 年)の前提となる長岡京・平安京造営でも、本拠地葛野の地理的位置から大きな役割を果たしたとされる。
伏見稲荷大社(京都市伏見区深草)は和銅四年(711 年)に秦伊呂具が稲荷山三ヶ峰に神を祀ったことに始まると『山城国風土記』逸文に記され、秦氏の氏神社として全国稲荷信仰の総本宮となった。松尾大社(京都市西京区嵐山宮町)は大宝元年(701 年)に秦都理が松尾山の神を遷祀したと伝え、大山咋神を祀る秦氏の氏神社。広隆寺(京都市右京区太秦)は秦河勝建立の氏寺として続く。
新撰姓氏録(弘仁6年)— 諸蕃・秦氏族条
一次文献藤原緒嗣 他(弘仁6年勅撰)
新撰姓氏録(弘仁6年)— 諸蕃・秦氏族条に基づく秦氏の代表的な典拠整理。
https://dl.ndl.go.jp/pid/2543361Wikipedia「秦氏」
二次資料Wikipedia「秦氏」を参照した秦氏の系譜・地域的受容の補助確認。
https://ja.wikipedia.org/wiki/秦氏