
神別
吉備氏は、備前・備中を拠点とした神別の氏族。吉備津彦命の後裔とも伝わる吉備国の首長系氏族で、各地に伝わる吉備の伝承と関わりが語られる。
吉備氏は、古代の吉備国(現在の岡山県および広島県東部)に勢力を張った首長系氏族。記紀には吉備津彦命の後裔として記され、5 世紀から 6 世紀にかけて畿内政権と婚姻・抗争を重ねつつ、瀬戸内海航路の要衝を支配した。古墳時代の造山古墳・作山古墳など全長 300m 級の前方後円墳が、吉備氏の勢威を考古学的に裏付ける。
『日本書紀』崇神十年条は、四道将軍として吉備津彦命(大吉備津彦命、孝霊天皇の皇子)が西道に派遣され、吉備国を平定したと記す。吉備氏はこの吉備津彦命の後裔と伝えられ、上道臣・下道臣・笠臣・苑臣などの分流を持つ。同祖系譜として『古事記』孝霊天皇段にも詳しく、稚武彦命(吉備津彦命の弟)の系統も吉備氏に連なる。岡山市の吉備津神社・吉備津彦神社はこの祖神を祀る氏神社として続く。
雄略七年(463 年)条の『日本書紀』には、吉備上道臣田狭の妻 稚媛を雄略天皇が召し上げたことに端を発する吉備氏の反乱譚が記される。田狭の子 吉備弟君は新羅遠征の途上で謀反を起こしたとされ、吉備氏と畿内政権との緊張関係を伝える。7 世紀以降は中央官人として登用される系統が現れ、奈良時代の吉備真備(695–775)は遣唐留学生として唐に渡って学術を持ち帰り、右大臣にまで昇った。
吉備津神社(岡山市北区吉備津)は備中国一宮で、主祭神は大吉備津彦命。比翼入母屋造の本殿・拝殿は応永三十二年(1425 年)の再建で、国宝に指定される。吉備津彦神社(岡山市北区一宮)は備前国一宮として並立し、両社で吉備津彦命を祀る祭祀圏を形成する。『桃太郎』伝承の温羅退治譚は、吉備津彦命の地域伝承として中世以降に展開した。
古事記(和銅5年)— 吉備氏族に関わる系譜記述
一次文献太安万侶(和銅5年)
古事記(和銅5年)— 吉備氏族に関わる系譜記述に基づく吉備氏の代表的な典拠整理。
https://dl.ndl.go.jp/pid/1920952Wikipedia「吉備氏」
二次資料Wikipedia「吉備氏」を参照した吉備氏の系譜・地域的受容の補助確認。
https://ja.wikipedia.org/wiki/吉備氏