
皇別
源氏は、京都・近畿を拠点とした皇別の氏族。嵯峨天皇を始祖とする皇族降下氏族で、武家政権の母体ともなった複数の系統を持つ。
源氏は、平安初期から鎌倉期にかけて皇族の臣籍降下によって興った皇別氏族の総称。「源」の氏は弘仁五年(814 年)、嵯峨天皇が皇子女の臣籍降下に際して賜姓したのが初出で、以後 21 流の源氏が成立した。嵯峨源氏・清和源氏・宇多源氏・村上源氏などの系統に分かれ、清和源氏が武家政権の母体となった。
源氏の祖は皇祖。『尊卑分脈』は嵯峨源氏を嵯峨天皇(786–842)に、清和源氏を清和天皇(850–880)の孫 経基王(六孫王)に発するとする。清和源氏の経基王は天慶元年(938 年)に源朝臣を賜り、武蔵介として東国に基盤を築いた。村上源氏は村上天皇後裔として公家社会で繁栄し、宇多源氏は近江佐々木氏など各地の武家を分出した。複数の天皇後裔が同じ「源」を称した結果、系統別の系譜整理が『尊卑分脈』『本朝皇胤紹運録』で行われる。
源満仲(912–997)は摂津国多田に拠点を構え、清和源氏の武門としての地歩を確立した。その子孫 源頼信・頼義・義家は前九年・後三年の役を通じて東国武士団との主従関係を築き、源頼朝(1147–1199)は治承四年(1180 年)の挙兵を経て建久三年(1192 年)に征夷大将軍に補任され、鎌倉幕府を開いた。室町幕府の足利氏も清和源氏 河内源氏の支流であり、源氏の名跡は征夷大将軍位の正統性根拠として中世を通じて機能した。
鶴岡八幡宮(神奈川県鎌倉市雪ノ下)は治承四年(1180 年)に源頼朝が由比郷から現在地に遷座し、源氏の氏神 石清水八幡宮を勧請したもの。応神天皇(誉田別命)を主祭神とし、武家源氏の守護神として鎌倉幕府の祭祀の中核となった。摂津の多田神社は清和源氏の祖 源満仲を祀り、近江の佐々木源氏は沙沙貴神社を氏神として奉斎する。
尊卑分脈(南北朝時代)— 源氏諸流の系譜
一次文献洞院公定 編(南北朝時代)
尊卑分脈(南北朝時代)— 源氏諸流の系譜に基づく源氏の代表的な典拠整理。
https://www.hi.u-tokyo.ac.jp/ships/Wikipedia「源氏」
二次資料Wikipedia「源氏」を参照した源氏の系譜・地域的受容の補助確認。
https://ja.wikipedia.org/wiki/源氏