
皇別
菅原氏は、大和・山城を拠点とした皇別の氏族。土師氏から分岐し、学問の神・菅原道真を輩出した学術系皇別氏族。
菅原氏は、土師氏(はじうじ)から分かれた古代から中世にかけての氏族。延暦元年(782 年)、土師宿祢古人が大和国添下郡菅原邑(現奈良市菅原町)に住んでいたことから、桓武天皇に菅原姓を賜って成立した。学問・文章をもって朝廷に仕える文人系の家系として展開し、菅原道真の登場により学問の家としての地位を確立した。
『新撰姓氏録』左京神別下は、土師宿祢を天穂日命(あめのほひのみこと)の後裔 野見宿禰(のみのすくね)に発するとする。天穂日命は『古事記』上巻 天安河の誓約段で、天照大神と素戔嗚尊の誓約で生まれた五男神の一柱で、出雲国造の祖でもある。野見宿禰は『日本書紀』垂仁三十二年条で、皇后日葉酢媛命の葬礼に際して殉死の代わりに埴輪を考案し、土師臣の姓を賜ったと記される。菅原氏はこの土師氏の系譜を継ぎ、天穂日命を遠祖とする。
菅原古人(?–?、8 世紀末–9 世紀初)は延暦元年(782 年)に菅原姓を賜った初代。その孫 菅原清公(770–842)は嵯峨朝の文章博士として漢詩文に通じ、家学としての菅原家の基礎を築いた。清公の孫 菅原道真(845–903)は宇多・醍醐朝の右大臣として政界の頂点に上ったが、藤原時平の讒言により昌泰四年(901 年)に大宰府に左遷され、延喜三年(903 年)に同地で没した。死後、京で起こった災異が道真の怨霊によるとされ、天暦元年(947 年)に北野天満宮が創建されて天神信仰の祖となった。
北野天満宮(京都市上京区馬喰町)は道真を天満大自在天神として祀り、菅原氏の氏神社であるとともに学問の神として全国の天満宮・天神社の総本社の一つとなった。太宰府天満宮(福岡県太宰府市宰府)は道真の墓所に建つ社で、延喜十九年(919 年)の創建。菅原氏の本拠 菅原邑には菅原天満宮(奈良市菅原町)があり、道真生誕地の伝承を伝える。
新撰姓氏録(弘仁6年)— 皇別・菅原氏族条
一次文献藤原緒嗣 他(弘仁6年勅撰)
新撰姓氏録(弘仁6年)— 皇別・菅原氏族条に基づく菅原氏の代表的な典拠整理。
https://dl.ndl.go.jp/pid/2543361Wikipedia「菅原氏」
二次資料Wikipedia「菅原氏」を参照した菅原氏の系譜・地域的受容の補助確認。
https://ja.wikipedia.org/wiki/菅原氏