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伝承

安宅の関

公開検証済みあたかのせき

兄頼朝に追われた源義経一行が山伏姿で安宅の関を通る際、武蔵坊弁慶が偽の勧進帳を読み上げ、関守富樫泰家が義経を見破りつつも見逃したと語られる伝承。

あらすじ

安宅の関は、加賀国安宅(現・石川県小松市安宅町)に置かれたとされる関所と、ここを舞台に語られる源義経主従の通過譚である。兄源頼朝に追われ奥州平泉を目指す義経は、武蔵坊弁慶(むさしぼうべんけい)ら家臣と山伏姿に身をやつし北陸道を下る。安宅の関で関守富樫泰家(とがしのやすいえ)に怪しまれた際、弁慶は東大寺勧進の山伏と偽り、白紙の巻物を勧進帳として朗々と読み上げる。なお疑う富樫の前で、弁慶は強力に変装した主君義経を金剛杖で打ち据えてみせる。富樫はその忠義の姿を見て義経と知りつつも見逃し、一行を通過させたと語られる。

神話の構造

物語は「権力からの逃亡」「変装と隠匿」「権威ある文書の偽造(勧進帳)」「主君打擲の倒錯」「武士の情けによる見逃し」という、王権下位の英雄譚に頻出する構造を取る。実際の関所設置は史料的に疑問視されており、能『安宅』(観世小次郎信光作とされる、十五世紀後半)が筋を整え、近世に成立した歌舞伎『勧進帳』(天保十一年・1840 年、四代目市川團十郎初演、三代目並木五瓶作)が現在の形を決定づけた。

舞台・伝承地

石川県小松市安宅町、安宅住吉神社境内が中心的伝承地。境内には義経・弁慶・富樫の三体像、勧進帳記念像、義経腰掛石が建つ。昭和十四年(1939 年)三月十八日に石川県史跡指定。北陸新幹線開業後は観光地として整備されている。『義経記』では如意の渡し・直江津でも類似の通過譚を語る。

出典

『義経記』(室町前期、十四〜十五世紀成立)巻七、能『安宅』(観世小次郎信光、十五世紀後半)、歌舞伎『勧進帳』(並木五瓶、1840 年)が主要典拠。安宅住吉神社社伝にも勧進帳説話を伝える。

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