
伝承
箸墓伝承は奈良県桜井市を代表地点として整理する伝承。倭迹迹日百襲姫命と大物主神をめぐる古墳伝承として語られ、出典、土地、関連エンティティを分けてたどれる。
箸墓伝承は、『日本書紀』崇神天皇紀に記される神婚譚で、倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)と大物主神(おおものぬしのかみ)の婚姻と姫の悲劇的死を語る物語。崇神天皇の叔母で巫女的存在であった倭迹迹日百襲姫命のもとへ、大物主神が夜ごと通うが姿を現さない。姫は「あなたの姿を見たい」と願い、神は「明朝、櫛笥(くしげ、化粧道具入れ)の中にいるが、私の姿に驚いてはならぬ」と告げる。翌朝、姫が櫛笥を開くと、中には美しい小蛇がいた。姫が驚いて声を上げると、神は恥じて人の姿に戻り、御諸山(みもろやま、三輪山)へ昇り去る。姫は悔いて座り込み、箸(はし)で陰部を突いて死んでしまう。亡骸は大市(おおち、現在の桜井市箸中)に葬られ、この墓を時の人は「箸墓」と呼んだ。墓は昼は人が造り、夜は神が造ったと『日本書紀』は記す。
物語は四段で展開する——(一)夜の訪問者と姿を見たい願い、(二)小蛇の姿の露見と禁忌の侵犯、(三)姫の悲劇的死、(四)箸墓の造営と地名起源譚。「見るな」型禁忌譚の変形であり、三輪山の蛇神婚(活玉依毘売説話)と対をなす関連伝承である。倭迹迹日百襲姫命は崇神朝の祭祀において重要な役割を担い、巫女王的性格を持つ。箸墓を「昼は人、夜は神」が造ったとする叙述は、神聖な墓の造営に超越的な力が関与したことを示す表現として読まれる。
比定地は奈良県桜井市箸中の箸墓古墳(はしはかこふん)。前方後円墳としては最古級(全長約 280m、墳丘長 278m)で、宮内庁により「倭迹迹日百襲姫命大市墓」として治定される。築造時期は三世紀後半(古墳時代前期初頭)と推定され、近年の考古学的調査では卑弥呼の墓に比定する説も提示される。隣接して三輪山と大神神社(桜井市三輪)が位置し、三輪山祭祀と王権形成を結ぶ重要な遺跡群を構成する。崇神天皇陵(行燈山古墳)も近傍にある。
『日本書紀』崇神天皇十年九月条(養老四年・720 年)。『古事記』には倭迹迹日百襲姫命の婚姻譚は記されず、『日本書紀』固有の伝承である。『大和志』『大和名所図会』など近世地誌、本居宣長『古事記伝』補注に関連叙述がある。近代以降は古墳考古学(樋口隆康、白石太一郎ら)が築造年代と被葬者をめぐる議論を蓄積し、卑弥呼比定説が広く論じられている。
日本書紀
一次文献日本書紀に見える箸墓伝承の代表的な典拠。
日本古典文学大系 日本書紀
二次資料日本古典文学大系 日本書紀など、箸墓伝承の伝承差や地域的受容を整理する二次資料。