神社
赤間神宮を壇ノ浦の記憶と海辺の社。
赤間神宮(あかまじんぐう)は、山口県下関市阿弥陀寺町に鎮座する神社。文治元年(1185 年)の壇ノ浦の戦いで入水した安徳天皇(あんとくてんのう)を主祭神とし、その霊を慰める鎮魂の社として知られる。社格は旧官幣大社、現在は別表神社。山口県下関の関門海峡を望む地にある。
所在は山口県下関市阿弥陀寺町 4-1。本州最西端、関門海峡に面する下関の中心市街に立ち、対岸に北九州市門司を望む。境内からは壇ノ浦古戦場(社地の西方海上)を見渡せる。隣接して耳なし芳一の塚(境内)、源平合戦の犠牲者を弔う七盛塚があり、壇ノ浦の記憶と海辺の社の景観を一体に伝える地理を持つ。「水天門(すいてんもん)」と呼ばれる竜宮造の朱塗山門は安徳天皇の入水を「海底の都」と詠む御製に由来する。
主祭神は安徳天皇(言仁親王、ときひとしんのう)。第八十一代天皇で、平清盛の外孫として三歳で即位、文治元年(1185 年)3 月 24 日の壇ノ浦の戦いで祖母二位尼(時子)に抱かれ六歳で入水した(『平家物語』巻十一・先帝身投)。配祀に三種の神器の海中喪失に殉じた平家一門の霊。中世以来「安徳天皇は竜宮城に渡った」とする海中他界譚が併存し、水天宮(福岡県久留米市)系の水天信仰とも接続する。源平の戦いの記憶を伝える社としては京都の若一神社・神戸の須磨寺と並ぶ。
寺伝・社伝では建久二年(1191 年)、長門国阿弥陀寺の地に勅命により阿弥陀寺御影堂が建立され安徳天皇の影像が祀られたを起源とする。中世を通じて「阿弥陀寺」として浄土宗・真言宗系の鎮魂の寺院として継承された。明治三年(1870 年)の神仏分離で阿弥陀寺は廃され、明治八年(1875 年)に天皇社、明治二十二年(1889 年)に官幣中社赤間宮、昭和十五年(1940 年)に官幣大社赤間神宮と昇格した。境内の七盛塚は平家一門(平知盛・教盛・経盛・資盛・有盛・行盛・忠房)の鎮魂塚として継承される。
5 月 2 日〜 4 日の先帝祭(せんていさい、下関三大祭り)は安徳天皇命日を中心とする鎮魂祭で、平家ゆかりの遊女が伝えたとされる「上臈道中(じょうろうどうちゅう)」の華麗な装束行列が知られる。8 月 6 日の耳なし芳一忌(小泉八雲の怪談『耳無し芳一』ゆかりの法要)、毎月 24 日の御命日祭も継承される。
赤間神宮 由緒・所在地資料
機関資料各社寺・公的機関
赤間神宮の名称・所在地・由緒を確認するための社寺・公的機関の公開資料。
赤間神宮 公式・公的由緒資料
機関資料赤間神宮の由緒、所在地、参詣圏を確認するための公式・公的資料。
赤間神宮 - Wikipedia 日本語版
二次資料Wikipedia contributors
赤間神宮の名称・所在地・座標を確認するため、Wikidata item Q712617 と日本語版 Wikipedia を参照。
赤間神宮 地域資料・百科資料
二次資料赤間神宮の名称、所在地、歴史的背景を補助的に確認する二次資料。
名称や説話、図像、儀礼に重なる具体モチーフです。