
寺院
興福寺を奈良の古代寺院と南都仏教の記憶から整理する。
興福寺(こうふくじ)は、奈良県奈良市登大路町に所在する法相宗大本山の寺院。藤原氏の氏寺として、和銅三年(710 年)の平城京遷都に伴い藤原不比等が山階寺(やましなでら)を奈良に移して建立したのを起源とする。南都七大寺の一つで、東金堂・五重塔・北円堂・三重塔など中世建築群と阿修羅像(あしゅらぞう)等の天平彫刻で知られる。1998 年「古都奈良の文化財」として世界文化遺産に登録された。
所在は奈良県奈良市登大路町 48。奈良盆地北部、奈良公園内に広大な境内を擁する。東に若草山・東大寺、南に春日大社・春日山原始林、西に元興寺、北に平城宮跡を望む位置で、藤原氏の氏寺として平城京の東辺を画する立地に選ばれた。五重塔(高さ 50.1 メートル、現存日本第二の高さ、国宝)は奈良の景観の象徴で、東金堂・南円堂・北円堂・三重塔などの中世堂宇が境内に点在する。
本尊は中金堂の釈迦如来(しゃかにょらい、平成 30 年・2018 年新造)。東金堂本尊は薬師如来(やくしにょらい、国指定重要文化財)。北円堂本尊は弥勒如来(みろくにょらい、運慶(うんけい)作、国宝)。鎮守は隣接の春日大社(藤原氏氏神、武甕槌命・経津主命・天児屋根命・比売神を祀る)で、興福寺と春日大社は中世以来「春日興福寺」と一体の祭祀圏を成した。法相宗の宗祖は中国の玄奘三蔵(げんじょうさんぞう)で、当寺は日本における法相宗の根本道場として継承される。阿修羅像(国宝、天平六年・734 年造立、八部衆の一)は天平彫刻の代表作として広く知られる。
天智天皇八年(669 年)藤原鎌足の病平癒のため夫人鏡王女(かがみのおおきみ)が山城国に山階寺を建立したのを起源とする。和銅三年(710 年)平城京遷都に伴い藤原不比等が現在の地に移し、興福寺と改称した。奈良時代を通じて藤原氏の氏寺として隆盛、平安期には春日大社と一体の権門寺院として大和国を支配下に置いた。永禄十年(1567 年)三好松永の兵火、亨保二年(1717 年)の大火で堂塔の多くを失ったが、中金堂・東金堂・五重塔・北円堂・南円堂・三重塔の中核堂宇は鎌倉期以降の再建が国宝・重要文化財として現存。明治の神仏分離・廃仏毀釈で大きな打撃を受け、僧侶のほとんどが還俗、春日大社と分離した。中金堂は平成 30 年(2018 年)に天平期の規模で再建された。
4 月 8 日の仏生会(ぶっしょうえ、釈迦誕生日)、10 月 17 日の慈恩会(じおんえ、法相宗祖玄奘三蔵忌)、12 月の追儺会(ついなえ、節分会)が主要法要。隣接の春日大社の春日祭(3 月 13 日、勅祭)と一体の祭祀圏は中世以来の伝統を伝え、奈良の三大祭礼の中軸を担う。
興福寺 由緒・所在地資料
機関資料各社寺・公的機関
興福寺の名称・所在地・由緒を確認するための社寺・公的機関の公開資料。
興福寺 公式・公的由緒資料
興福寺の由緒、所在地、参詣圏を確認するための公式・公的資料。
興福寺 - Wikipedia 日本語版
二次資料Wikipedia contributors
興福寺の名称・所在地・座標を確認するため、Wikidata item Q1070863 と日本語版 Wikipedia を参照。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%88%88%E7%A6%8F%E5%AF%BA興福寺 地域資料・百科資料
二次資料興福寺の名称、所在地、歴史的背景を補助的に確認する二次資料。