
記紀神話
『古事記』『日本書紀』に景行・成務・仲哀・応神・仁徳の五代に仕えたと記される伝説的大臣。蘇我氏・葛城氏・紀氏などの祖と伝承される。
武内宿禰(たけうちのすくね、建内宿禰)は、『古事記』中巻・『日本書紀』に第12代景行天皇から第16代仁徳天皇までの五代に仕えたと記される伝説的な大臣・忠臣。長寿の象徴とされ、紀氏・巨勢氏・平群氏・葛城氏・蘇我氏・許勢氏など、大和朝廷の有力豪族の祖と仰がれる。三韓征伐の伝承で神功皇后を補佐し、応神天皇の即位を支えた事績で知られる。古代官僚の理想像として後世に長く語り継がれた。
『古事記』中巻 孝元天皇段・景行天皇段以降に建内宿禰の名で繰り返し現れ、孝元天皇の曾孫として系譜が記される。『日本書紀』では景行天皇紀・成務天皇紀・仲哀天皇紀・神功皇后摂政紀・応神天皇紀・仁徳天皇紀に大臣として登場し、特に神功皇后の三韓征伐では筑紫で応神天皇出生を介助し、忍熊王の謀反平定で皇統を守った経緯が詳述される。『新撰姓氏録』(弘仁六年・815年)には武内宿禰を祖とする多数の氏族(紀朝臣・巨勢朝臣・平群朝臣・葛城朝臣・蘇我朝臣・許勢朝臣・若子部宿禰など)が掲載される。
父は屋主忍男武雄心命、母は影媛(紀伊国造の祖・荒河刀辨の娘)で、孝元天皇の曾孫にあたる。子には葛城襲津彦・許勢小柄・平群木菟・紀角・蘇我石川・羽田矢代など、後の有力豪族の祖となる七男二女があったと伝えられる。葛城襲津彦の娘・磐之媛命は仁徳天皇の皇后となり、応神天皇に続く王統に直結する閨閥を形成した。
中心となる祭祀地は宇倍神社(鳥取県鳥取市国府町宮下、因幡国一宮、明治以前は宇倍野神社とも)で、武内宿禰命を主祭神として祀る。氣比神宮(福井県敦賀市曙町)・高良大社(福岡県久留米市御井町、筑後国一宮)でも主祭神または相殿神として祀られ、武運・長寿・忠臣の徳目をめぐる信仰の対象となる。明治十二年(1879年)には宇倍神社の社頭が日本最初の銀行券(一円券・五円券)の図柄に採用され、武内宿禰像が広く普及した。
古事記 中巻 孝元天皇段・神功皇后段(建内宿禰)
一次文献太安万侶(撰)/武田祐吉 校訂
太安万侶撰『古事記』中巻に建内宿禰の系譜と神功皇后摂政期の補佐に関する記述が含まれる。武田祐吉校訂版(青空文庫)。
https://www.aozora.gr.jp/cards/001518/card51732.html武内宿禰 - Wikipedia 日本語版
二次資料Wikipedia contributors
武内宿禰(建内宿禰)の系譜・五代の奉仕事績・蘇我氏葛城氏紀氏の祖伝承・神社祭祀に関する二次整理。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A6%E5%86%85%E5%AE%BF%E7%A6%B0