
伝承
熊野八咫烏伝承は、和歌山県田辺市を入口にたどる伝承。和歌山県田辺市を代表地点として、神話・創世の文脈で語り継がれる物語を整理する
熊野八咫烏伝承は、神武天皇東征の際、熊野の山中で皇軍が荒ぶる神の毒気に倒れた後、高天原から遣わされた三本足の烏・八咫烏(やたがらす)が大和への山中行軍を導いたとする記紀神話の中核譚である。神武天皇が日向を発って瀬戸内を東進し、河内・浪速で長髄彦(ながすねひこ)の抵抗に遭って迂回し、紀伊半島南端の熊野に上陸した後、熊野の山中で皇軍は荒神の毒気にあてられて気を失う。高倉下命(たかくらじのみこと)が霊夢を受けて建御雷神(たけみかづちのかみ)が降した剣・布都御魂(ふつのみたま)を皇軍に届け、皇軍は蘇生する。続いて高天原から八咫烏が遣わされ、熊野から大和・宇陀(うだ)への山中行軍を先導したと伝えられる。
物語は三段で構成される——(一)熊野山中での皇軍の倒伏と布都御魂による蘇生、(二)八咫烏の先導と山中行軍、(三)宇陀への到達と神武東征の最終段階。八咫烏は賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)の化身とされ、山城国の賀茂氏祖神譚と接続する。熊野三山(本宮・新宮・那智)の神使も八咫烏とされ、熊野信仰の象徴的存在として中世まで継承された。
中心比定地は和歌山県田辺市本宮町本宮の熊野本宮大社(くまのほんぐうたいしゃ)と、新宮市の熊野速玉大社、那智勝浦町の熊野那智大社(熊野三山)。八咫烏は熊野三山の神紋・神使として現代まで継承される。神武東征の関連地として、奈良県宇陀市の宇太水分神社、橿原市の橿原神宮、京都府京都市北区の上賀茂神社(賀茂氏祖神社)と神話圏を共有する。
『古事記』中巻神武天皇段の熊野・宇陀の段、『日本書紀』神武紀の同段が文献的基礎を成す。『山城国風土記』(逸文)の賀茂建角身命の山城定住譚は八咫烏との同一視を支える。中世『熊野権現御垂迹縁起』、『熊野那智大社縁起』が熊野信仰における八咫烏の位置づけを示す。熊野三山の社伝、世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」関連資料、和歌山県・三重県の文化財解説資料も基礎参照とされる。
古事記・日本書紀関連資料 熊野八咫烏伝承
一次文献古事記・日本書紀関連資料 熊野八咫烏伝承に基づく熊野八咫烏伝承の代表的な典拠整理。
古事記・日本書紀
二次資料古事記・日本書紀などを参照した熊野八咫烏伝承の地域的受容と異伝の補助確認。
あなたの縁
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名称や説話、図像、儀礼に重なる具体モチーフです。