
寺院
大須観音を名古屋中心部の観音信仰と門前文化から整理する。
大須観音(おおすかんのん)は、愛知県名古屋市中区大須に所在する真言宗智山派の寺院。正式名称は北野山真福寺宝生院(きたのざんしんぷくじほうしょういん)。慶長十七年(1612 年)に徳川家康の命で美濃国大須郷(現在の岐阜県羽島市桑原町大須)から名古屋に移転されたのを起源とし、名古屋を代表する観音霊場として知られる。山号は北野山。
所在は愛知県名古屋市中区大須 2-21-47。名古屋市中心部、栄から徒歩約 15 分の大須商店街(大須商店街連盟、約 1,200 店舗)の中核に立つ。境内は約 6,000 平方メートル、本堂・仁王門・五重塔(戦災後復元)等の堂宇と隣接の大須商店街が一体の門前文化景観を成す。隣接の若宮八幡社(名古屋市中区栄)と並ぶ名古屋中心市街地の信仰の核として、年間を通じて参詣者と買い物客で賑わう。
本尊は聖観音菩薩(しょうかんのんぼさつ、伝弘法大師空海作)。脇侍に毘沙門天・愛染明王。観音菩薩は『法華経』観世音菩薩普門品に基づき三十三身に変化して衆生を救う仏として、中世以来庶民信仰の中心を成した。大須観音は中世以来の真福寺文庫(しんぷくじぶんこ)で知られ、平安期から鎌倉期の古写本約 15,000 点(国宝・重要文化財多数を含む)を所蔵する日本三大経蔵の一つ。同じ名古屋の真言宗寺院として笠寺観音(笠覆寺、名古屋市南区)・荒子観音(浄海山円龍院観音寺、名古屋市中川区)等と「尾張四観音」「尾張三観音」を成す観音霊場圏に位置する。
寺伝では能信上人(のうしんしょうにん)が建仁年間(1201-1204 年)に美濃国大須郷で開創したのを起源とする。慶長十七年(1612 年)徳川家康が名古屋城築城・清須越し(きよすごし)の際、名古屋の鎮護のため真福寺を現在地に移転させた。これに伴い大須の地名も美濃から名古屋に移植され、現在の大須地区の起源を成した。江戸期には尾張藩主徳川氏の祈願所として庇護を受け、門前町の発達とともに庶民信仰の中心地として隆盛した。第二次世界大戦の名古屋大空襲(昭和二十年・1945 年)で本堂・五重塔等を焼失、戦後昭和四十五年(1970 年)に本堂が再建され現在に至る。
2 月 3 日の節分会(豆撒き、芸能人の豆撒きで知られる)、毎月 18 日・28 日の縁日、10 月の大須大道町人祭(おおすだいどうちょうにんさい、名古屋市の市民祭)が主要祭礼。大須大道町人祭は寺院と商店街連盟が共催する都市型祭礼で、芸能・コスプレ・大道芸など現代的要素を取り入れた独自の祭文化を成す。
大須観音 由緒・所在地資料
機関資料各社寺・公的機関
大須観音の名称・所在地・由緒を確認するための社寺・公的機関の公開資料。
大須観音 公式・公的由緒資料
機関資料大須観音の由緒、所在地、参詣圏を確認するための公式・公的資料。
大須観音 - Wikipedia 日本語版
二次資料Wikipedia contributors
大須観音の名称・所在地・座標を確認するため、Wikidata item Q3594052 と日本語版 Wikipedia を参照。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E9%A0%88%E8%A6%B3%E9%9F%B3大須観音 地域資料・百科資料
二次資料大須観音の名称、所在地、歴史的背景を補助的に確認する二次資料。