
聖地
立山信仰を山岳霊場、地獄谷、登拝の文脈から整理する入口になる。
立山(たてやま)は、富山県中新川郡立山町にある標高 3,015 メートルの山岳で、富士山・白山と並ぶ日本三霊山の一つ。雄山(おやま、3,003 メートル)・大汝山(おおなんじやま、3,015 メートル)・富士ノ折立(ふじのおりたて、2,999 メートル)の三峰総称で、山頂に雄山神社峰本社が鎮座する。社格は旧国幣小社、現在は別表神社。
山域は富山県中新川郡立山町の中部山岳国立公園内に位置し、北アルプス北部の主稜を成す。雄山神社は山頂峰本社(雄山山頂)・中宮祈願殿(芦峅寺)・前立社壇(岩峅寺)の三社一体で、麓の岩峅寺(いわくらじ)・芦峅寺(あしくらじ)の二集落は古代以来の宿坊(しゅくぼう)門前町として立山信仰を支えてきた。地獄谷(じごくだに)は剱岳直下の硫黄ガス噴出地で「立山地獄」の景観として中世以来知られる。
主祭神は伊邪那岐神(いざなぎのかみ)・天手力雄神(あめのたぢからおのかみ)。伊邪那岐神は『古事記』上巻 国生み・神生み段の主神で、立山の地主神として中世以降の本地仏阿弥陀如来と習合した。天手力雄神は『古事記』上巻 天岩戸段で岩戸を引き開けた剛力の神で、立山では山頂雄山の主神として祀られる。立山曼荼羅(たてやままんだら)と呼ばれる中世絵図には立山地獄と極楽の景観が描かれ、白山・富士山と並ぶ高山霊場の死後世界観を成す。
社伝では文武天皇の御代(697-707 年)、佐伯有頼(さえきのありより)が白鷹に導かれ熊と遭遇、熊が阿弥陀如来の化身であったとする「立山開山伝承」を起源とする。平安・鎌倉期には天台・真言の修験道場として発展、近世には「立山詣で」が江戸の庶民信仰として隆盛。立山曼荼羅を絵解きで説いた「立山衆徒」が全国を巡回した。明治の神仏分離で立山寺は廃され、雄山神社が三社一体として継承、近代以降は中部山岳国立公園の自然景観と一体化した山岳霊場として位置づけられる。
7 月 25 日の例大祭、登拝期間(7 月 1 日〜 9 月下旬)の山頂祭が中心。立山曼荼羅絵解きの伝統は芦峅寺・岩峅寺の旧宿坊が現在も継承し、立山博物館(富山県立山博物館)で公開される。古来の登拝路は「立山禅定道」と称され、白山禅定道と並ぶ日本の山岳霊場巡礼道として国の文化的景観に登録される。
立山 由緒・所在地資料
機関資料各社寺・公的機関
立山の名称・所在地・由緒を確認するための社寺・公的機関の公開資料。
立山博物館・公的文化財資料
機関資料立山の由緒、所在地、信仰圏を確認するための公式・公的資料。
立山 - Wikipedia 日本語版
二次資料Wikipedia contributors
立山の名称・所在地・座標を確認するため、Wikidata item Q2977103 と日本語版 Wikipedia を参照。
立山 - Wikipedia 日本語版
二次資料Wikipedia contributors
立山の名称、所在地、歴史的背景を補助的に確認する二次資料。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%8B%E5%B1%B1