
武家守護神
平安中期の坂東の武将。承平天慶の乱で「新皇」を称し、藤原秀郷らに討たれた。神田明神・国王神社で祭神として祀られる日本三大怨霊の一柱。
平将門(たいらのまさかど、903-940)は、平安時代中期の坂東の武将。桓武天皇五世の孫・平高望の孫にあたり、下総国(現在の茨城県・千葉県北部)を本拠とした。承平天慶の乱(935-940年)で常陸国府・上野国府を制圧し、坂東八か国を支配して自ら「新皇」を称したが、天慶三年(940年)に藤原秀郷・平貞盛らに討たれて没した。没後は朝廷から逆賊とされる一方、坂東では英雄として崇敬され、神田明神(神田神社)の主祭神の一柱として神格化された。菅原道真・崇徳天皇とともに「日本三大怨霊」に数えられる。
当時の同時代軍記『将門記』(成立は10〜11世紀、原写本欠損あり)が一次史料の中心で、承平天慶の乱の経緯・新皇宣言・最期までを詳述する。『日本紀略』『扶桑略記』『今昔物語集』巻二十五などの史書・説話集にも、坂東での乱と平定の経緯が記録される。中世以降は『太平記』『大日本史』『将門記絵巻』『俵藤太物語』など多くの編纂物が成立し、神格化された将門像が形成された。江戸期には『将門純友東西軍記』『相馬旧記』など、相馬氏との関係を強調する伝承も生まれた。
父は鎮守府将軍・平良将(陸奥介)、母は犬養春枝の娘とされる。桓武平氏・高望王流の傍流に属し、伯父に平国香・平良兼・平良正、従兄弟に平貞盛がある。妻は良兼の娘で、子に将国・春連・春香(如蔵尼)など。乱の過程で伯父・国香を殺害し、貞盛との確執が乱の直接の発端となった。下総国の相馬御厨・豊田郡を地盤とし、後世の相馬氏は将門の後裔を称した(相馬小次郎の通称はここに由来)。
中心となる祭祀地は神田明神(神田神社、東京都千代田区外神田)で、大己貴命・少彦名命とともに平将門命として祀られ、江戸総鎮守として崇敬される。国王神社(茨城県坂東市岩井)は終焉の地に娘・如蔵尼が建立したと伝えられる将門専祠。築土神社(東京都千代田区九段北)・首塚(千代田区大手町、将門塚)・桔梗塚(大手町)など、関東各地に将門ゆかりの祭祀地が分布する。武運・厄除けの祈願社として現代も信仰を集める。
神田明神 公式サイト 御祭神・由緒
機関資料神田神社(神田明神)
神田明神(神田神社)公式サイトによる平将門命の祭神位置・神格化経緯・江戸総鎮守としての歴史に関する公式説明。
https://www.kandamyoujin.or.jp/about/gosaijin/平将門 - Wikipedia 日本語版
二次資料Wikipedia contributors
平将門の生涯・承平天慶の乱・新皇宣言・神格化と怨霊伝承に関する二次整理。