
武家守護神
戦国期の越後の武将。武田信玄と川中島で五度交戦した「越後の龍」。米沢の上杉神社で主祭神として祀られる。
上杉謙信(うえすぎけんしん、1530-1578)は、戦国時代の越後国守護代から関東管領にいたる武将。越後国守護代・長尾為景の四男として春日山城(新潟県上越市)に生まれ、長尾虎千代・長尾景虎を経て、天文十七年(1548年)に兄・晴景の譲りで家督を継いだ。永禄四年(1561年)に関東管領・上杉憲政の養子となり「上杉政虎」、後に将軍・足利義輝から偏諱を受け「上杉輝虎」、出家して「不識庵謙信」と号した。武田信玄との川中島の戦い(天文二十二年〜永禄七年、計五次)、関東出兵、織田信長軍を破った手取川の戦い(天正五年・1577年)など、戦国屈指の軍事的指導者として知られる。天正六年(1578年)春日山城で急逝。
一次史料は『上杉家文書』(米沢市上杉博物館所蔵、国宝指定)の謙信書状・印判状群が中心で、家督継承から外交・軍事・治政の細部を直接確認できる。江戸期の軍書として『北越軍談』『上杉軍記』『上杉年譜』『松隣夜話』、また家臣の口承を集めた『常山紀談』『北越軍記』が編纂された。同時代の他史料として『甲陽軍鑑』(武田家側)『関八州古戦録』『歴代古案』にも謙信関係記事が多い。明治以降は『大日本史料』『上杉家御年譜』『新潟県史』が学術的に整理する。
父は越後守護代・長尾為景、母は栖吉長尾房景の娘・虎御前。兄に長尾晴景(先代守護代)、姉妹に綾御前(長尾政景室)・仙桃院。生涯独身で実子はなく、姉・仙桃院の子である上杉景勝(長尾顕景)を養子に迎えた。同じく養子に上杉景虎(北条氏康の七男)。謙信没後の天正六〜七年、二人の養子間で「御館の乱」が起こり、勝った景勝が上杉家を継承して関ヶ原を経て米沢藩主家となった。
中心となる祭祀地は上杉神社(山形県米沢市丸の内、米沢城本丸跡、明治九年現社地遷座)で、上杉謙信公を主祭神として祀る。明治四十一年(1908年)には別格官幣社に列せられた。同じ米沢には松岬神社(上杉鷹山ら米沢藩中興の祖を祀る)が境内末社として並立する。新潟県上越市の春日山神社(春日山城跡、明治三十四年創建)も上杉謙信を祭神とする。林泉寺(上越市)は謙信の修行寺、上杉家廟所(米沢市御廟)は歴代藩主の墓所として知られる。
上杉神社 公式サイト 御祭神・御由緒
機関資料上杉神社
上杉神社公式サイトによる上杉謙信公の祭神位置・米沢城本丸跡への明治九年遷座・別格官幣社列格などの祭祀展開に関する公式説明。
https://www.uesugi-jinja.or.jp/about/上杉謙信 - Wikipedia 日本語版
二次資料Wikipedia contributors
上杉謙信の生涯・川中島の戦い・関東出兵・上杉神社による神格化に関する二次整理。