
武家守護神
戦国期の甲斐の武将。武田家中興の祖として信濃を平定し、上杉謙信と川中島で五度交戦した「甲斐の虎」。武田神社で祀られる。
武田信玄(たけだしんげん、1521-1573)は、戦国時代の甲斐国守護・武田家第19代当主。父は武田信虎、永禄元年(1558年)出家以前は武田晴信を名乗った。天文十年(1541年)に父信虎を駿河へ追放して家督を継ぎ、信濃国の諏訪頼重・小笠原長時・村上義清らを次々と破って信濃全域を平定。上杉謙信との川中島の戦い(天文二十二年〜永禄七年、計五次)で知られ、永禄四年(1561年)の第四次合戦は最大の激戦となった。元亀三年(1572年)から織田信長・徳川家康を圧迫する西上作戦を開始し、三方ヶ原の戦いで家康を破ったが、翌元亀四年(1573年)四月、信濃伊那郡駒場(諸説あり)で陣没した。
中心的な軍書は武田家家臣・春日虎綱(高坂昌信)の口述に基づくとされる『甲陽軍鑑』(江戸初期成立)で、信玄の戦術・治政・家中統制を編年体で詳述し、武士道精神論の古典として広く読まれた。同時代の一次史料には武田家文書(信玄朱印状・印判状群、東京大学史料編纂所・山梨県立博物館所蔵)、京都の公家日記『言継卿記』、近隣大名の文書(上杉家文書・徳川家文書)などがある。江戸期の編纂物として『武田三代軍記』『甲斐国志』『関八州古戦録』、近代以降は『大日本史料』『山梨県史』『戦国遺文 武田氏編』が整理を進めた。
父は武田信虎(甲斐守護)、母は大井信達の娘・大井夫人。同母弟に武田信繁(典厩・川中島で戦死)・武田信廉。正室は三条公頼の娘・三条夫人、継室に諏訪頼重の娘・諏訪御料人(湖衣姫)。嫡男に武田義信(廃嫡)、四男・武田勝頼(諏訪御料人の子、後の武田家当主、長篠の戦いを経て天目山で自刃)、その他多くの子女があった。勝頼の代に武田家は滅亡したが、家臣団・甲州流軍学は徳川家康の旗本層に取り込まれ、近世武家文化に大きな影響を残した。
中心となる祭祀地は武田神社(山梨県甲府市古府中町、武田氏館(躑躅ヶ崎館)跡、大正八年(1919年)創建)で、武田信玄公を主祭神として祀る。例大祭は信玄の命日にあたる四月十二日(信玄公祭り)。塩山の恵林寺(山梨県甲州市塩山小屋敷、信玄の菩提寺、快川紹喜による「心頭滅却すれば火も自ら涼し」の偈で知られる)には信玄墓所がある。長野県諏訪市の諏訪大社・上社本宮では信玄が崇敬した記録が残り、信玄堤(甲府盆地)など治水遺構も信仰文脈で参照される。
武田神社 公式サイト 御祭神・御由緒
機関資料武田神社
武田神社公式サイトによる武田信玄公の祭神位置・大正八年躑躅ヶ崎館跡への創建・信玄公祭りなどの祭祀展開に関する公式説明。
https://www.takedajinja.or.jp/about/武田信玄 - Wikipedia 日本語版
二次資料Wikipedia contributors
武田信玄の生涯・信濃平定・川中島の戦い・西上作戦・武田神社による神格化に関する二次整理。