
伝承
神武東征は、典拠と代表地点を確認した公開項目として整理する伝承。日向から大和へ向かう移動譚を、神話上の王権起源としてたどるための入口になる。
神武東征は、『古事記』『日本書紀』に記される神話で、神倭伊波礼毘古命(かむやまといわれびこのみこと、後の神武天皇)が日向から大和へ向かい、初代天皇として即位するまでの移動譚。日向の高千穂宮を発った神倭伊波礼毘古命は、兄の五瀬命(いつせのみこと)らとともに筑紫(福岡)、安芸(広島)、吉備(岡山)を経て東進する。難波の白肩津(しらかたのつ)で長髄彦(ながすねびこ)の抵抗に遭い、兄の五瀬命が矢傷を負って紀伊国男之水門(おのみなと)で没する。熊野(和歌山)からは高倉下(たかくらじ)が献じた横刀(よこたち)と高木神が遣わした八咫烏(やたがらす)の導きにより、険しい山中を越えて大和へ入る。宇陀の兄宇迦斯(えうかし)、忍坂の土雲八十建(つちぐもやそたける)、長髄彦らを順次討ち、橿原の地に宮を定めて即位する。
物語は四段で構成される——(一)日向出発と瀬戸内航路、(二)難波での挫折と兄の死、(三)熊野からの迂回と八咫烏の導き、(四)大和平定と橿原即位。皇統の地理的起源と現実の王権所在地(大和)を神話的に結合する根本譚であり、天孫降臨段の延長線上に位置する。長髄彦・土雲八十建など在地勢力を「まつろわぬ者」として描く視点は、ヤマト王権の自己正当化神話の典型構造を示す。八咫烏は熊野信仰・賀茂氏祖神伝承の起点ともなる。
出発地は宮崎県宮崎市・西臼杵郡高千穂町。宮崎神宮(宮崎市神宮)は神武天皇を主祭神とし、東征出発の地と伝わる。経由地として瀬戸内海沿岸、熊野(和歌山県新宮市、熊野速玉大社・熊野本宮大社・熊野那智大社の熊野三山)、宇陀(奈良県宇陀市)、橿原(奈良県橿原市畝傍町)。橿原神宮(奈良県橿原市)は明治二十三年(1890 年)に神武天皇即位の地として創建された。
『古事記』中巻 神武天皇段(太安万侶撰、和銅五年・712 年)、『日本書紀』神武天皇即位前紀から即位元年条(養老四年・720 年)。両書で経路・年次に異同があり、『日本書紀』が干支紀年でより詳細な行軍記事を持つ。本居宣長『古事記伝』中巻、津田左右吉以降の近代史学による神話的構造の分析がある。宮崎神宮社伝、橿原神宮社伝、熊野三山社伝も継承伝承の参照軸となる。
古事記
一次文献古事記に見える神武東征の代表的な典拠。
古事記
一次文献神武東征の本文、章節、代表的な筋を確認する一次文献・伝承本文。
日本書紀
二次資料日本書紀など、神武東征の伝承差や地域的受容を整理する二次資料。
神武東征 伝承差整理資料
二次資料神武東征の地域差、受容、代表地点を整理するための二次資料。