
寺院
慈照寺を東山文化と庭園の記憶から整理する。
慈照寺(じしょうじ)は、京都府京都市左京区銀閣寺町に所在する臨済宗相国寺派の寺院。通称「銀閣寺(ぎんかくじ)」。室町幕府八代将軍足利義政(あしかがよしまさ)が長享三年(1489 年)に造営した東山殿(ひがしやまどの)を、義政の死後に禅寺としたのを開創とし、東山文化を代表する庭園と建築で知られる。山号は東山。
所在は京都府京都市左京区銀閣寺町 2。京都盆地北東部、東山三十六峰の月待山(つきまちやま)西麓に立ち、北の哲学の道・南禅寺、西の御所、東の比叡山を望む景観に置かれた。境内庭園は錦鏡池(きんきょうち)を中心に、銀閣(観音殿、国宝)・東求堂(とうぐどう、国宝)・銀沙灘(ぎんしゃだん)・向月台(こうげつだい)が配される池泉回遊式庭園で、国の特別史跡・特別名勝。1994 年「古都京都の文化財」として世界文化遺産に登録。
本尊は観音菩薩(観音殿=銀閣の本尊)。東求堂内仏間の本尊は阿弥陀如来。東求堂の同仁斎(どうじんさい)は四畳半茶室の起源とされ、書院造(しょいんづくり)の発祥地として日本の和室の原型を示す。義政の私的居室として営まれた建築群は、禅宗様・書院造・茶室建築の融合体として東山文化の精華を体現する。隣接の浄土寺・東山八神社、北の哲学の道沿いの法然院・安楽寺と一体の東山山麓の社寺景観を成す。
長享三年(1489 年)足利義政が祖父・足利義満の北山殿(金閣寺)に倣い、東山に山荘・東山殿を造営。延徳二年(1490 年)義政の死後、遺言により禅寺に改められ、慈照寺と号した(義政の戒名「慈照院」より)。応仁・文明の乱(1467-1477 年)後の戦乱期に造営された東山殿は、室町幕府の権威衰退期にもかかわらず茶の湯・連歌・能楽・水墨画・書院造・枯山水庭園の総合的洗練を成し遂げ、後世の日本美の原型となった。江戸期も相国寺末として継承され、銀閣(観音殿)・東求堂は奇跡的に応仁の乱・戦国の兵火を免れ現存、国宝に指定。
特別な年中行事より、日常的な庭園拝観・文化財公開が中心。春(4 月)の特別公開で東求堂同仁斎の内部、秋(11 月)の特別公開で本堂・弄清亭の障壁画が公開される。隣接の足利義満創建の鹿苑寺(金閣寺)、相国寺(本山)と合わせて「金閣・銀閣・本山」の三カ寺巡拝が観光的にも継承される。
慈照寺 由緒・所在地資料
機関資料各社寺・公的機関
慈照寺の名称・所在地・由緒を確認するための社寺・公的機関の公開資料。
慈照寺 公式・公的由緒資料
機関資料慈照寺の由緒、所在地、参詣圏を確認するための公式・公的資料。
慈照寺 - Wikipedia 日本語版
二次資料Wikipedia contributors
慈照寺の名称・所在地・座標を確認するため、Wikidata item Q257473 と日本語版 Wikipedia を参照。
慈照寺 地域資料・百科資料
二次資料慈照寺の名称、所在地、歴史的背景を補助的に確認する二次資料。