寺院
最上稲荷を稲荷信仰と寺院境内の複合的な参詣地。
最上稲荷(さいじょういなり)は、岡山県岡山市北区高松稲荷に所在する日蓮宗の寺院。正式名称は最上稲荷山妙教寺(さいじょういなりさんみょうきょうじ)。日本三大稲荷(伏見稲荷大社・豊川稲荷とともに)の一つに数えられ、神仏習合の遺風を強く残す稲荷信仰の中心地。山号は最上稲荷山。
所在は岡山県岡山市北区高松稲荷 712。岡山市北西部、龍王山(標高 297 メートル)の山中に立ち、備中高松(びっちゅうたかまつ、羽柴秀吉の備中高松城水攻めで知られる戦国史跡)に近い。境内は山中に展開し、大鳥居(高さ 27.5 メートル)から仁王門(神仏習合の意匠で「○○王門」と「○○王神門」が併存)、本殿(霊光殿)、奥之院、八畳岩などの堂宇が登拝路沿いに点在する。神社の鳥居・狛狐と寺院の仁王・梵鐘が同一境内に共存する明治の神仏分離を逃れた稀有な神仏習合景観を残す。
本尊は最上位経王大菩薩(さいじょういきょうおうだいぼさつ、最上稲荷大菩薩、最上尊)。日蓮宗系の独自の稲荷神格で、稲荷神(宇迦之御魂神、うかのみたまのかみ)に妙法蓮華経の守護神としての法華経守護神の性格を加えた習合神。脇侍に三面大黒天(さんめんだいこくてん、大黒天・毘沙門天・弁才天の三面像)、八大龍王(はちだいりゅうおう)を配する。一般の稲荷神社(伏見稲荷大社系)の宇迦之御魂神信仰とは別系統の稲荷信仰で、商売繁盛・五穀豊穣の福神信仰の点では共通するが、日蓮宗の法華経守護神として体系化された点が独特である。
寺伝では天平勝宝四年(752 年)、報恩大師(ほうおんだいし)が孝謙天皇の病気平癒祈祷で最上尊を感得し開創したと伝えられる。中世には備中の有力寺院として発展。永禄元年(1558 年)日蓮宗に改宗し、最上稲荷山妙教寺として再編された。明治初年の神仏分離・廃仏毀釈に際しては、稲荷信仰として神社化を求められたが、住職らの抵抗により寺院(日蓮宗)として神仏習合の意匠を保ったまま存続が認められた稀有な例である。第二次世界大戦の戦災を免れ、現存堂宇は近世から近代の建立で、現在も日蓮宗最上稲荷教総本山として継承される。
1 月 1 日〜 3 日の初詣(毎年約 60 万人)、2 月の節分会、5 月の春季大祭、11 月の秋季大祭が主要祭礼。初詣の参詣者数では岡山県内最大で、伏見稲荷大社(京都府)・豊川稲荷(愛知県)と並ぶ日本三大稲荷として全国から参詣を集める。お正月の鳥居をくぐる行列と本殿前の御札授与の光景は岡山の正月風物詩として継承される。
最上稲荷 由緒・所在地資料
機関資料各社寺・公的機関
最上稲荷の名称・所在地・由緒を確認するための社寺・公的機関の公開資料。
最上稲荷 公式・公的由緒資料
機関資料最上稲荷の由緒、所在地、参詣圏を確認するための公式・公的資料。
最上稲荷 - Wikipedia 日本語版
二次資料Wikipedia contributors
最上稲荷の名称・所在地・座標を確認するため、Wikidata item Q11515459 と日本語版 Wikipedia を参照。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%80%E4%B8%8A%E7%A8%B2%E8%8D%B7最上稲荷 地域資料・百科資料
二次資料最上稲荷の名称、所在地、歴史的背景を補助的に確認する二次資料。
名称や説話、図像、儀礼に重なる具体モチーフです。