
神社
誉田八幡宮は大阪府にある神社。所在地と由緒を手がかりに、勝運・厄除けの信仰文脈から地図でたどれる。
誉田八幡宮(こんだはちまんぐう)は、大阪府羽曳野市誉田に鎮座する神社。誉田別命(応神天皇)を主祭神とし、応神天皇陵(誉田御廟山古墳、世界遺産「百舌鳥・古市古墳群」構成資産)の南に隣接する。現存最古級の八幡宮の一と伝え、社格は旧府社。
所在は大阪府羽曳野市誉田 3-2-8。大阪府南東部、古市古墳群の中央、誉田御廟山古墳(応神天皇陵、墳丘長 425m、全国第二位の前方後円墳)の南濠に隣接する立地に鎮座する。社殿背後の応神天皇陵は世界文化遺産「百舌鳥・古市古墳群」(2019 年登録)の構成資産。古市古墳群を構成する周辺の応神天皇陵・仲哀天皇陵(岡ミサンザイ古墳)等と一体の祭祀景観を成す。
主祭神は誉田別命(ほんだわけのみこと、応神天皇)。『古事記』『日本書紀』に第 15 代天皇として記される。豊前国宇佐神宮(大分県宇佐市)が全国八幡信仰の本社だが、誉田八幡宮は応神天皇の陵墓の側に鎮座する点で、八幡信仰の根源地の一として位置づけられる。配祀に仲哀天皇(応神天皇の父神)、神功皇后(応神天皇の母神、新羅遠征伝承の主人公)を併祀する。関連の宇佐神宮、岩清水八幡宮(京都府八幡市)、鶴岡八幡宮(神奈川県鎌倉市)と共に全国八幡信仰の中軸ラインを構成する。
社伝では欽明天皇 20 年(559 年)の創祀と伝え、現存最古級の八幡宮の一と称する。応神天皇陵の陵守の社として、古墳築造直後から祭祀が始まったと伝える。中世は河内国の有力武家の崇敬を受け、特に源頼朝・足利尊氏・豊臣秀吉・徳川家光の崇敬を集めた。豊臣秀頼の崇敬で慶長 11 年(1606 年)に本殿が造営され、現在の本殿はこの遺構の系譜を継ぐ。源義家の奉納と伝える神輿・神宝が伝来し、宝物殿に保管される。明治期に府社に列せられた。
9 月 15 日の例大祭(誉田祭、神輿渡御で応神天皇陵への神幸を執行)が中心。応神天皇陵への神輿渡御は、陵墓と神社の祭祀一体性を伝える希少な祭礼として広く知られる。
誉田八幡宮 由緒・所在地資料
機関資料各社寺・公的機関
誉田八幡宮の名称・所在地・由緒を確認するための社寺・公的機関の公開資料。
誉田八幡宮 - Wikipedia 日本語版
二次資料Wikipedia contributors
誉田八幡宮の名称・所在地・座標を確認するため、Wikidata item Q11631426 と日本語版 Wikipedia を参照。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AA%89%E7%94%B0%E5%85%AB%E5%B9%A1%E5%AE%AE