
神仏習合
平安時代初期の真言宗開祖(774-835)。延暦二十三年(804年)の遣唐使派遣で長安に渡り、帰国後に高野山金剛峯寺・東寺を拠点として真言密教を確立した。延喜二十一年(921年)に「弘法大師」の諡号を醍醐天皇から賜る。
弘法大師(こうぼうだいし、本名・空海、774-835)は、平安時代初期の僧侶で、真言宗の開祖。讃岐国多度郡(現在の香川県善通寺市)に佐伯氏の子として生まれ、延暦二十三年(804年)の遣唐使に随行して長安・青龍寺で恵果阿闍梨から密教の伝法灌頂を受けた。帰国後の弘仁七年(816年)に嵯峨天皇から高野山を下賜され金剛峯寺を開創、弘仁十四年(823年)には京都の東寺を真言密教の根本道場として与えられ、真言宗を確立した。延喜二十一年(921年)に醍醐天皇から「弘法大師」の諡号を賜り、以後「お大師さま」として民衆信仰の対象となった。
公的記録としては『続日本後紀』承和二年(835年)三月二十一日条に入定(高野山奥之院での禅定)の記事が見え、『日本後紀』『日本三代実録』にも在唐期・帰朝後の事績が記される。空海自身の著作として漢詩文集『性霊集』(弟子・真済編、十巻)、思想書『三教指帰』『十住心論』『弁顕密二教論』、書道『風信帖』『灌頂歴名』などが残り、能書家としても三筆の一人に数えられる。中世以降は『弘法大師御伝』『高野大師御広伝』など多数の伝記が編纂され、『今昔物語集』『沙石集』『宇治拾遺物語』にも諸国巡錫の説話が収録される。
父は佐伯田公(さえきのたぎみ)、母は阿刀大足の妹・玉依御前と伝える。佐伯氏は古代豪族大伴氏の同祖伝承を持つ讃岐の地方豪族で、空海は同氏出身の数少ない国家的高僧となった。法統上は唐の青龍寺・恵果阿闍梨を直接の師として真言密教第八祖となり、その下に実慧(観賢)・真雅・真然・真済・智泉ら高弟が並び、後に高野山・東寺・醍醐寺・仁和寺などの真言宗各派の祖となる。
中心となる祭祀地は高野山金剛峯寺(和歌山県伊都郡高野町)。奥之院では現在も「弘法大師は禅定に入っているだけで生きている」とする入定信仰のもと、毎日朝夕の生身供(しょうじんぐ)が捧げられる。京都の東寺(教王護国寺)も真言密教根本道場として弘法大師信仰の中心で、毎月二十一日の「弘法市」が知られる。四国八十八ヶ所霊場の遍路文化は、室町期以降に弘法大師ゆかりの寺院を巡拝する民衆信仰として確立し、現代に至るまで広く実践される。
高野山真言宗 総本山金剛峯寺 公式サイト
機関資料高野山金剛峯寺
高野山金剛峯寺公式サイトによる弘法大師(空海)の生涯・入定信仰・高野山開創・真言密教の体系に関する公式説明。
https://www.koyasan.or.jp/空海 - Wikipedia 日本語版
二次資料Wikipedia contributors
空海(弘法大師)の生涯・遣唐使・高野山開創・東寺・真言宗確立・著作(性霊集等)に関する二次整理。