
伝承
稲生物怪録は広島県三次市を代表地点として整理する伝承。若者の前に連夜さまざまな怪異が現れる記録的な怪異譚として語られ、出典、土地、関連エンティティを分けてたどれる。
稲生物怪録(いのうもののけろく)は、寛延二年(1749 年)七月、備後国三次(みよし、現在の広島県三次市)の藩士の子・稲生平太郎(いのうへいたろう、十六歳)の屋敷に、三十日間連続で多彩な怪異が現れた記録的怪異譚である。事の発端は、平太郎が肝試しに比熊山(ひぐまやま)に登り、夜の塚に立ったこと。以後、毎夜異なる怪異が現れる——巨大な顔が天井から下がる、無数の目玉が壁から覗く、生首が転がる、首のない武者が現れる、雪のように白い髪の老女が舞う、家中の道具が踊り出す等々。平太郎は逐一動じることなく対処し、三十日目に大魔王・山本五郎左衛門(さんもとごろうざえもん)が現れて「お前の度胸を試した」と告げ、木槌を残して去る。
物語は三段で構成される——(一)肝試しによる禁忌の侵犯(塚に立つ)、(二)三十日にわたる多種多様な怪異の連続襲来、(三)魔王の登場による試練の解除と贈与。一夜限りの怪異譚ではなく、三十日間という時間幅で「怪異のカタログ化」を行う点に類例の少ない構造を持つ。寛延二年という年号・三次という実地名・稲生家という実在の藩士家を結びつけた「実録怪談」の代表例で、近世怪異観の到達点を示す。江戸後期から幕末にかけて絵巻・写本の形で全国に流布した。
比定地は広島県三次市三次町の比熊山と、その麓に位置した稲生家の屋敷跡。三次市には「稲生物怪録絵巻」を所蔵する複数の機関があり、特に三次もののけミュージアム(湯本豪一記念日本妖怪博物館)が公的に資料収集と展示を行う。比熊山には現在も登山道があり、地元では「稲生物怪録の山」として記憶される。
原本は柏正甫(かしわまさよし)撰の写本『稲生物怪録』(寛延二年・1749 年事件、宝暦年間に成立か)。複数の絵巻系統が伝わり、平田篤胤(ひらたあつたね)が文政元年(1818 年)に『稲生物怪録』として整理・刊行したことで全国に流布した。京都国際マンガミュージアム所蔵本、堀田正俊家伝来本など重要文化財級の絵巻も多い。三次市教育委員会の地域資料、湯本豪一『稲生物怪録絵巻集成』を二次整理として参照する。
稲生物怪録
一次文献稲生物怪録に見える稲生物怪録の代表的な典拠。
日本怪異妖怪事典
二次資料日本怪異妖怪事典など、稲生物怪録の伝承差や地域的受容を整理する二次資料。
あなたの縁
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