
伝承
高野山弘法大師伝承は、和歌山県高野町を入口にたどる伝承。和歌山県高野町を代表地点として、寺社縁起・地名由来の文脈で語り継がれる物語を整理する
高野山弘法大師伝承(こうやさんこうぼうだいしでんしょう)は、平安初期の僧・弘法大師空海(くうかい、宝亀五年・774 年〜承和二年・835 年)による高野山真言宗の総本山・金剛峯寺(こんごうぶじ)の開創を語る縁起と、入定(にゅうじょう)信仰群を含む伝承体系である。延暦二十三年(804 年)に唐に渡って密教を学んだ空海は、大同元年(806 年)に帰国した後、弘仁七年(816 年)嵯峨天皇から高野山を賜って金剛峯寺を開く。承和二年(835 年)三月二十一日、空海は奥之院(おくのいん)で禅定に入り「入定」したとされ、現代に至るまで肉身を保って衆生を救い続けていると信じられる。奥之院では現在も毎日二度、御廟(ごびょう)に食事を運ぶ「生身供(しょうじんぐ)」が千二百年続けられる。
伝承は三段で構成される——(一)唐留学と帰国後の真言密教の確立、(二)高野山の開創と諸堂宇の建立、(三)入定信仰と御廟祭祀の永続。「死せずして禅定に入る」入定という観念は、空海個人を超えて末法の救済者像へと拡張され、平安後期の浄土信仰と並ぶ大乗仏教救済論の一極を構成した。空海が独鈷杵(とっこしょ)を投げて高野の地を見出したという「飛行三鈷の松(ひこうさんこのまつ)」伝承は、開創の場の聖性を物理的に証言する。
中心比定地は和歌山県伊都郡高野町高野山(こうやさん)の金剛峯寺・壇上伽藍・奥之院。山内には根本大塔・金堂・大師教会・徳川家霊台など百二十を超える堂宇・寺院が並ぶ。空海御廟が立つ奥之院は二キロにわたる参道に沿って、戦国大名から庶民までの墓石・供養塔二十万基以上が並ぶ。「紀伊山地の霊場と参詣道」(高野山・熊野三山・吉野大峯の三霊場)として 2004 年にユネスコ世界文化遺産に登録(文化庁 国指定文化財等データベース)。
『性霊集(しょうりょうしゅう)』(空海撰、平安初期)、『御遺告(ごゆいごう)』、真済(しんぜい)『空海僧都伝』、『金剛峯寺建立修行縁起』。中世の『弘法大師行状絵詞』(伝・覚雲撰、十四世紀成立)、『元亨釈書』巻一、『高野山往生伝』。金剛峯寺寺伝、和歌山県教育委員会の地域資料、文化庁 国指定文化財等データベース「紀伊山地の霊場と参詣道」項目を参照する。
寺社縁起・社寺由緒資料 高野山弘法大師伝承
一次文献寺社縁起・社寺由緒資料 高野山弘法大師伝承に基づく高野山弘法大師伝承の代表的な典拠整理。
日本伝説大系
二次資料日本伝説大系などを参照した高野山弘法大師伝承の地域的受容と異伝の補助確認。
名称や説話、図像、儀礼に重なる具体モチーフです。