
寺院
延暦寺を比叡山の山上伽藍と天台の歴史から整理する。
延暦寺(えんりゃくじ)は、滋賀県大津市坂本本町に所在する天台宗総本山の寺院。延暦七年(788 年)に伝教大師最澄(さいちょう)が比叡山に開創した一乗止観院(いちじょうしかんいん)を起源とし、平安京遷都(794 年)後は王城鎮護の山として朝廷の崇敬を集めた。山号は比叡山。
所在は滋賀県大津市坂本本町 4220。京都市と滋賀県大津市の境にそびえる比叡山(標高 848 メートル)の山上に展開し、東塔(とうどう)・西塔(さいとう)・横川(よかわ)の三塔十六谷に約百五十の堂塔が点在する一山の宗教都市。東塔の根本中堂(こんぽんちゅうどう、国宝)は最澄開創以来の中心堂宇で、不滅の法灯(最澄が灯した灯火を 1,200 年継承)で知られる。1994 年「古都京都の文化財」として世界文化遺産に登録。
本尊は根本中堂の薬師如来(伝教大師最澄自作と伝えられる秘仏)。根本中堂の本尊薬師如来の前には「不滅の法灯」が灯され続け、信長の比叡山焼討(1571 年)で一度消えたが、山形県立石寺(りっしゃくじ)に分灯されていた火から復灯したと伝えられる。鎮守は日吉大社(ひよしたいしゃ、大津市坂本)で、最澄が大三輪神(おおみわのかみ)の分霊を勧請したとされる山王権現(さんのうごんげん、大山咋神・大己貴神等の総称)。日吉大社の山王神道(さんのうしんとう)は中世神仏習合の代表的体系で、山王二十一社の祭祀構造は全国の天台寺院に影響を与えた。
延暦七年(788 年)最澄が比叡山に一乗止観院を建立、延暦二十五年(806 年)に天台宗が公認された。承和元年(834 年)に勅願寺、貞観八年(866 年)に最澄に伝教大師の諡号が与えられた。中世には法然(浄土宗)・親鸞(浄土真宗)・道元(曹洞宗)・栄西(臨済宗)・日蓮(日蓮宗)など鎌倉新仏教の祖師の修学の地として「日本仏教の母山」と称された。元亀二年(1571 年)織田信長の焼討で堂塔は灰燼に帰したが、豊臣秀吉・徳川家光らの援助で江戸初期に再建、現存伽藍の多くは江戸期の遺構である。明治の神仏分離で日吉大社が分離独立した。
4 月 5 日〜 11 日の御修法(みしほ、伝教大師最澄忌)、6 月 4 日の山家会(さんげえ)、不滅の法灯を守り継ぐ千日回峰行(せんにちかいほうぎょう、国指定無形民俗文化財)が天台修験道の独自行として継承される。同じ近江の天台寺院である園城寺(三井寺)とは中世以来「山門(延暦寺)・寺門(園城寺)」の対立と並立の歴史を持つ。
延暦寺 由緒・所在地資料
機関資料各社寺・公的機関
延暦寺の名称・所在地・由緒を確認するための社寺・公的機関の公開資料。
延暦寺 公式・公的由緒資料
機関資料延暦寺の由緒、所在地、参詣圏を確認するための公式・公的資料。
延暦寺 - Wikipedia 日本語版
二次資料Wikipedia contributors
延暦寺の名称・所在地・座標を確認するため、Wikidata item Q917195 と日本語版 Wikipedia を参照。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BB%B6%E6%9A%A6%E5%AF%BA延暦寺 地域資料・百科資料
二次資料延暦寺の名称、所在地、歴史的背景を補助的に確認する二次資料。