聖地
比叡山を山岳霊場と京都・近江を結ぶ信仰圏。
比叡山(ひえいざん)は、京都府京都市と滋賀県大津市にまたがる標高 848 メートルの山岳。最澄が開創した天台宗総本山・延暦寺(えんりゃくじ)を山上に擁し、平安京の鬼門(東北)を護る王城鎮護の山として古代以来の信仰を集めた。「日本仏教の母山」と称され、鎌倉新仏教の祖師を多数輩出した山岳霊場である。
山域は京都市左京区と大津市坂本本町・延暦寺町に跨り、京都盆地と琵琶湖を分かつ稜線を成す。山上は北の四明岳(しめいだけ、848 メートル)と南の大比叡(だいひえい、848 メートル)の双耳峰で、東塔(とうどう)・西塔(さいとう)・横川(よかわ)の三塔域に延暦寺の堂塔が点在する。麓の坂本(大津市)は中世以来「里坊(さとぼう)」と呼ばれる僧侶引退後の住坊が連なる門前町を成し、近隣の日吉大社(ひよしたいしゃ)が比叡山の鎮守として山王権現を祀る。
山中の信仰中心は延暦寺根本中堂の薬師如来(伝最澄作、秘仏)で、その前に「不滅の法灯」が灯り続ける。鎮守は日吉大社(旧称 山王権現)で、最澄が大三輪神(おおみわのかみ)の分霊を勧請したとされる山王神(大山咋神・大己貴神等の総称)。山王神道は中世神仏習合の代表的体系で、本地垂迹説の理論的基盤を提供した。比叡山修験の千日回峰行(せんにちかいほうぎょう)は山中の堂宇・霊石を巡る山岳修行で、無動寺谷の明王堂(不動明王本尊)を起点とする。
延暦七年(788 年)最澄が一乗止観院(後の根本中堂)を建立、延暦二十五年(806 年)天台宗が公認されて以降、王城鎮護の山として朝廷の崇敬を集めた。法然(浄土宗開祖)・親鸞(浄土真宗開祖)・道元(曹洞宗開祖)・栄西(臨済宗開祖)・日蓮(日蓮宗開祖)らが当山で修学、鎌倉新仏教の苗床となった。元亀二年(1571 年)織田信長の比叡山焼討で山上の三千余坊が灰燼に帰し、僧俗約四千人が殺戮された。豊臣秀吉・徳川家光らの援助で江戸初期に再興、明治の神仏分離で日吉大社が分離独立した。1994 年「古都京都の文化財」として世界文化遺産に登録。
4 月 5 日〜 11 日の御修法(最澄忌)、不滅の法灯を維持する日々の勤行、千日回峰行満行者による「土足参内(どそくさんだい)」(皇居参内)が比叡山修験の独自伝統として継承される。山麓の日吉大社山王祭(4 月、滋賀県無形民俗文化財)は神輿渡御で知られ、山上の延暦寺の法要と一体の信仰圏を成す。
比叡山 由緒・所在地資料
機関資料各社寺・公的機関
比叡山の名称・所在地・由緒を確認するための社寺・公的機関の公開資料。
比叡山 公式・公的由緒資料
機関資料比叡山の由緒、所在地、参詣圏を確認するための公式・公的資料。
比叡山 - Wikipedia 日本語版
二次資料Wikipedia contributors
比叡山の名称・所在地・座標を確認するため、Wikidata item Q748040 と日本語版 Wikipedia を参照。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AF%94%E5%8F%A1%E5%B1%B1比叡山 地域資料・百科資料
二次資料比叡山の名称、所在地、歴史的背景を補助的に確認する二次資料。