
寺院
大阪の寺院景観と納骨信仰の記憶を、都市の参詣地。
一心寺(いっしんじ)は、大阪府大阪市天王寺区逢阪に所在する浄土宗の寺院。文治元年(1185 年)に法然上人(ほうねんしょうにん)が四天王寺西門の地で念仏修行を行ったのを開創とする浄土宗の名刹で、近代以降は遺骨を集めて造立する「お骨佛(こつぼとけ)」で全国に知られる。山号は坂松山。
所在は大阪府大阪市天王寺区逢阪 2-8-69。大阪市中心部、上町台地の西縁・逢阪(おうさか)の坂上に立ち、北に四天王寺・西に大阪湾を望む。江戸時代から「夕陽丘」と呼ばれる景勝地で、隣接の四天王寺西門・愛染堂勝鬘院(あいぜんどうしょうまんいん)・大江神社と一体の上町台地の社寺景観を構成する。境内には法然上人由来の見送り松、お骨佛安置の納骨堂、独特の現代仁王像(山田俊也・神戸峰男作)の山門などがある。
本尊は阿弥陀如来。法然上人の念仏信仰に基づく浄土宗の本尊で、本堂中央に三尊像形式で安置される。当寺最大の特徴は明治二十年(1887 年)から始まったお骨佛で、信者から納められた遺骨を漆喰と固めて阿弥陀如来像を造立し、十年に一体ずつ納骨堂に安置する独特の納骨信仰。第二次世界大戦の戦災で初代から第六代までのお骨佛が焼失したが、戦後再開され、現在は第七代以降のお骨佛と再建された初代から第六代の像が安置される。隣接の四天王寺・愛染堂と並ぶ上町台地の浄土・密教信仰の場として位置づけられる。
文治元年(1185 年)法然上人が四天王寺の西門で念仏修行を行ったのを開創とする。江戸初期に徳川家康の八男・松平忠輝の生母・茶阿局(ちゃあのつぼね)の菩提寺となり、徳川家ゆかりの寺院として整備された。明治二十年(1887 年)に第一体お骨佛が造立され、納骨信仰の中心地として全国から信者を集めるようになった。第二次世界大戦の大阪大空襲(昭和二十年・1945 年)で堂宇の多くを焼失、戦後再建されて現在に至る。現代の山門・仁王像は平成九年(1997 年)に再建されたもので、現代彫刻の傑作として知られる。
4 月の春彼岸会(はるひがんえ)、9 月の秋彼岸会、8 月のお盆法要、4 月 23 日〜 25 日の法然上人忌(御忌、ぎょき)が主要法要。年間を通じて納骨参拝者が絶えず、お骨佛の前で先祖供養を行う庶民信仰の場として継承される。十年に一度の新しいお骨佛開眼供養は当寺最大の行事として大阪市民に親しまれる。
一心寺 由緒・所在地資料
機関資料各社寺・公的機関
一心寺の名称・所在地・由緒を確認するための社寺・公的機関の公開資料。
一心寺 公式・公的由緒資料
機関資料一心寺の由緒、所在地、参詣圏を確認するための公式・公的資料。
一心寺 - Wikipedia 日本語版
二次資料Wikipedia contributors
一心寺の名称・所在地・座標を確認するため、Wikidata item Q3155710 と日本語版 Wikipedia を参照。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%80%E5%BF%83%E5%AF%BA一心寺 地域資料・百科資料
二次資料一心寺の名称、所在地、歴史的背景を補助的に確認する二次資料。