
寺院
勝尾寺を勝運信仰と北摂の山寺。
勝尾寺(かつおうじ)は、大阪府箕面市粟生間谷に所在する高野山真言宗の寺院。北摂の山中、箕面国定公園内の山地に立つ古刹で、開創は神亀四年(727 年)と伝えられる。「勝運の寺」として、勝運招来の達磨(だるま)人形を奉納する独特の信仰で知られる。山号は応頂山(おうちょうざん)。
所在は大阪府箕面市粟生間谷 2914-1。大阪府北部、箕面市の山中、標高約 400 メートルの山あいに展開し、北摂山系の自然林に囲まれた山寺景観を成す。境内は約八万坪、勝尾寺ダム湖の畔から山門・本堂・三宝荒神堂・二階堂・薬師堂・知恵の輪などの堂宇が斜面に展開する。隣接の箕面の滝・箕面公園と一体の北摂の自然景観の中に立ち、阪急電鉄北千里線沿線からの参詣道が整備されている。
本尊は十一面千手観音菩薩(じゅういちめんせんじゅかんのんぼさつ)。脇侍に二十八部衆・風神雷神を配する千手観音曼荼羅の構成。鎮守は三宝荒神(さんぼうこうじん、火と竈の神、勝尾寺三宝荒神は西国第一霊場と称される)・薬師如来等。寺号「勝尾寺」は、清和天皇(在位 858-876 年)の病を当寺の薬師如来の祈祷で治癒した功により「勝王寺」の勅号を賜ったが、王に勝つを憚って「尾」字に改めたとする縁起に基づく。「勝運」「勝負運」の信仰は近代以降に盛んとなり、達磨(だるま)人形を奉納して願掛けする独特の参詣文化が継承される。
寺伝では神亀四年(727 年)、藤原致房(ふじわらのむねふさ)の子・善仲(ぜんちゅう)・善算(ぜんさん)兄弟が当地に庵を結んだのを開創とし、天平神護元年(765 年)に光仁天皇の皇子・開成(かいじょう)が出家して入山、伽藍を整備したと伝えられる。平安期に清和天皇の病平癒で「勝王寺」を賜り、後に「勝尾寺」と改めた。中世には西国三十三所第二十三番札所として観音巡礼の中心地の一つに位置づけられた。源平の兵火・戦国の兵乱で何度も焼失したが、慶長八年(1603 年)豊臣秀頼の援助で再建。明治の神仏分離・廃仏毀釈の影響を受けつつも、近代に「勝運の寺」として信仰を更新して現在に至る。
1 月 1 日〜 3 日の初詣(勝運祈願)、4 月のお花まつり、11 月の紅葉ライトアップが中心。境内各所に奉納された無数の達磨人形(勝ち達磨)は当寺独特の景観を成し、入試・受験・スポーツ・選挙等の勝負事の祈願に訪れる参拝者の信仰を伝える。同じ西国三十三所札所の中山寺(兵庫県)・興福寺(奈良県)と並ぶ近畿観音霊場として継承される。
勝尾寺 由緒・所在地資料
機関資料各社寺・公的機関
勝尾寺の名称・所在地・由緒を確認するための社寺・公的機関の公開資料。
勝尾寺 公式・公的由緒資料
機関資料勝尾寺の由緒、所在地、参詣圏を確認するための公式・公的資料。
勝尾寺 - Wikipedia 日本語版
二次資料Wikipedia contributors
勝尾寺の名称・所在地・座標を確認するため、Wikidata item Q2747522 と日本語版 Wikipedia を参照。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8B%9D%E5%B0%BE%E5%AF%BA勝尾寺 地域資料・百科資料
二次資料勝尾寺の名称、所在地、歴史的背景を補助的に確認する二次資料。