
寺院
瑠璃光寺を五重塔と山口の寺院景観から整理する。
瑠璃光寺(るりこうじ)は、山口県山口市香山町に所在する曹洞宗の寺院。室町時代の応永六年(1399 年)に大内氏二十四代義弘の菩提のため、弟の大内盛見(おおうちもりみ)が建立した香積寺(こうしゃくじ)の五重塔(国宝)が境内中央に立つ「西の京」山口の象徴的寺院として知られる。山号は保寧山(ほねいざん)。
所在は山口県山口市香山町 7-1。山口盆地中央部、山口市街地北部の香山公園内に立ち、五重塔・本堂・庭園が広大な境内に展開する。香山公園は明治の山口維新の志士(高杉晋作・木戸孝允・伊藤博文等)が会合した場として知られ、明治維新発祥の地としても歴史的価値を持つ。五重塔の周囲には大内氏歴代の墓所、本堂背後には鎌倉時代の枯山水庭園が配される独特の歴史景観を成す。
本尊は薬師如来(やくしにょらい)。寺号「瑠璃光寺」は薬師如来の浄土・瑠璃光浄土に由来する。五重塔の中央に大日如来を安置し、塔そのものが密教曼荼羅の象徴として大内氏歴代の菩提を弔う。鎮守は隣接の春日神社(山口市春日町)と山口大神宮(山口市滝町、伊勢神宮の分霊を勧請した中世以来の社)で、室町期の大内氏が京文化を模倣して整備した山口の社寺景観を成す。同じ大内氏ゆかりの今八幡宮(山口市八幡馬場)・古熊神社と一体の「西の京」山口の社寺一体景観を担う。
寺伝では応永六年(1399 年)に大内氏二十四代義弘が将軍足利義満との応永の乱で戦死、義弘の弟の盛見が義弘の菩提のため香積寺(こうしゃくじ)を建立し、五重塔を造営したのを起源とする。五重塔は嘉吉二年(1442 年)に完成、高さ 31.2 メートル、和様と唐様の折衷様式の代表作として国宝に指定(日本三名塔の一つ、奈良法隆寺・京都醍醐寺と並ぶ)。室町期には大内氏支配下の山口の中軸寺院として隆盛したが、戦国末期の大内氏滅亡(弘治三年・1557 年)と毛利氏入封により香積寺は萩へ移転、後に当地は瑠璃光寺と改められた。明治の廃仏毀釈の影響を受けつつも、五重塔は山口市民の象徴として保存され、現在に至る。
4 月のお花まつり、8 月のお盆供養、11 月の紅葉祭が主要行事。年間を通じて国宝五重塔を中軸とする観光・参詣の場として継承され、香山公園と一体の山口市民の憩いの場としての性格も強い。同じ室町期の中世建築として、奈良法隆寺五重塔(国宝)・京都醍醐寺五重塔(国宝)と並ぶ「日本三名塔」の一翼を担う。
瑠璃光寺 由緒・所在地資料
機関資料各社寺・公的機関
瑠璃光寺の名称・所在地・由緒を確認するための社寺・公的機関の公開資料。
瑠璃光寺 公式・公的由緒資料
機関資料瑠璃光寺の由緒、所在地、参詣圏を確認するための公式・公的資料。
瑠璃光寺 - Wikipedia 日本語版
二次資料Wikipedia contributors
瑠璃光寺の名称・所在地・座標を確認するため、Wikidata item Q11573988 と日本語版 Wikipedia を参照。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%91%A0%E7%92%83%E5%85%89%E5%AF%BA瑠璃光寺 地域資料・百科資料
二次資料瑠璃光寺の名称、所在地、歴史的背景を補助的に確認する二次資料。