
伝承
四天王寺縁起は、大阪府大阪市天王寺区を入口にたどる伝承。大阪府大阪市天王寺区を代表地点として、寺社縁起・地名由来の文脈で語り継がれる物語を整理する
四天王寺縁起(してんのうじえんぎ)は、推古天皇元年(593 年)、聖徳太子(しょうとくたいし、厩戸皇子)による日本最古の官寺・四天王寺の創建を語る縁起である。物部守屋(もののべのもりや)と蘇我馬子(そがのうまこ)の崇仏排仏の戦いに際し、若き厩戸皇子は信貴山の白膠木(ぬるで)の木で四天王像を刻み「この戦に勝てば四天王のために寺を建てる」と誓った。蘇我側が物部側を打ち破った後、皇子は誓いを実行して摂津国難波(なにわ)の地に四天王寺を建立した。創建当時から仏法興隆・国家鎮護を目的とする官寺として位置づけられ、敬田院(きょうでんいん)・施薬院(せやくいん)・療病院(りょうびょういん)・悲田院(ひでんいん)の四箇院制度を伴って医療・福祉の機能をも兼ねた。
縁起は三段で構成される——(一)崇仏排仏の戦いと厩戸皇子の四天王像造立と誓い、(二)勝利後の摂津難波における四天王寺建立、(三)四箇院制度による仏法と社会救済の一体化。聖徳太子による「鎮護国家」と「救済」の二目的が、一つの寺院に集約される構造は、後世の官立寺院制度の原型を成す。物部守屋の敗死後、四天王寺は仏法興隆の象徴として政治的にも文化的にも中心的位置を占め、日本仏教の出発点に位置づけられた。
中心比定地は大阪府大阪市天王寺区四天王寺(してんのうじ)。境内は伽藍配置を「四天王寺式伽藍配置」と称し、中門・五重塔・金堂・講堂を南北一直線に配する飛鳥時代の典型形式を保つ。現在の建物は太平洋戦争後の再建で、毎年四月二十二日の聖霊会舞楽大法要(しょうりょうえぶがくだいほうよう)は重要無形民俗文化財に指定される。摂津国の歴史を担う中核寺院として、近世大坂の祭礼と一体化した「天王寺の四天王寺」として広く知られた。
『日本書紀』推古天皇元年是歳条(養老四年・720 年)、『元興寺伽藍縁起并流記資財帳』(天平十九年・747 年)、『四天王寺御手印縁起』(伝・聖徳太子撰、平安中期成立とされる)、『四天王寺縁起』。中世の『太子伝』『聖徳太子伝暦』、近世の『大坂市中寺院由緒記』。四天王寺寺伝、大阪市教育委員会の地域資料、文化庁 国指定文化財等データベース「四天王寺聖霊会舞楽」項目を参照する。
寺社縁起・社寺由緒資料 四天王寺縁起
一次文献寺社縁起・社寺由緒資料 四天王寺縁起に基づく四天王寺縁起の代表的な典拠整理。
日本伝説大系
二次資料日本伝説大系などを参照した四天王寺縁起の地域的受容と異伝の補助確認。
名称や説話、図像、儀礼に重なる具体モチーフです。