
寺院
成田山新勝寺を不動信仰と門前町の参詣圏から整理する。
成田山新勝寺(なりたさんしんしょうじ)は、千葉県成田市成田に所在する真言宗智山派の大本山。天慶三年(940 年)の平将門(たいらのまさかど)の乱に際し、寛朝大僧正(かんちょうだいそうじょう)が朱雀天皇の勅命で京都神護寺の不動明王像を当地に勧請して調伏祈祷を行ったのを開創とする不動信仰の中心地。「成田の不動様」として関東随一の参詣寺院として知られる。山号は成田山。
所在は千葉県成田市成田 1。下総台地の成田市街地、印旛沼を遠望する位置に立つ。境内は約 22 万平方メートル、総門・仁王門・本堂・大本堂・釈迦堂・額堂・光明堂・三重塔・成田山公園などが広大に展開する。隣接の成田参道(成田駅から続く近世以来の門前町、川豊・米屋などの老舗が並ぶ)と一体の門前文化景観を成し、年間約 1,000 万人の参詣者を集める日本有数の参詣寺院である。
本尊は不動明王(ふどうみょうおう、平将門調伏のため京都神護寺から勧請、空海作と伝えられる)。脇侍に矜羯羅童子(こんがらどうじ)・制咤迦童子(せいたかどうじ)。不動明王は密教の主尊大日如来の教令輪身(きょうりょうりんじん)として、煩悩を断ち悪を調伏する忿怒の相で表され、平安期以来の鎮護国家・調伏祈祷の本尊として崇敬を集めた。当寺の不動明王は弘法大師空海自刻と伝えられ、京都神護寺・高野山と並ぶ不動信仰の中軸を担う。同じ関東の成田山系として川崎大師平間寺(かわさきだいしへいけんじ、神奈川県川崎市)・高尾山薬王院(東京都八王子市)と「関東三大本山」を成す。
天慶二年(939 年)平将門が下総国で反乱を起こし、関東を席捲した。翌天慶三年(940 年)朱雀天皇の勅命により、寛朝大僧正が京都神護寺の不動明王像を関東に運び、当地・公津ヶ原(こうづがはら、現成田市内)で調伏祈祷を行ったところ、将門は藤原秀郷・平貞盛に討たれた。乱の鎮定後、寛朝は不動明王像を本尊として当地に新勝寺を建立、「平将門に新たに勝つ寺」の意で寺号とした。中世には不動信仰の地方拠点として継承され、江戸期には歌舞伎役者市川團十郎家の崇敬を受け(市川家の屋号「成田屋」はこれに由来)、江戸庶民の代参講「成田講」が広く組まれて参詣者が急増した。明治以降も発展を続け、現在は真言宗智山派の大本山として継承される。
1 月 1 日〜 3 日の初詣(毎年約 300 万人の参詣者、明治神宮・川崎大師と並ぶ全国三大初詣)、2 月の節分会(市川團十郎・有名人の豆撒きで知られる)、5 月の祇園会、9 月の御獅子御渡が主要祭礼。毎月 1 日・15 日・28 日の不動明王縁日も古来の参詣日として継承される。
成田山新勝寺 由緒・所在地資料
機関資料各社寺・公的機関
成田山新勝寺の名称・所在地・由緒を確認するための社寺・公的機関の公開資料。
成田山新勝寺 公式・公的由緒資料
成田山新勝寺の由緒、所在地、参詣圏を確認するための公式・公的資料。
成田山新勝寺 - Wikipedia 日本語版
二次資料Wikipedia contributors
成田山新勝寺の名称・所在地・座標を確認するため、Wikidata item Q3083875 と日本語版 Wikipedia を参照。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%88%90%E7%94%B0%E5%B1%B1%E6%96%B0%E5%8B%9D%E5%AF%BA成田山新勝寺 地域資料・百科資料
二次資料成田山新勝寺の名称、所在地、歴史的背景を補助的に確認する二次資料。